「七五三」の由来など2008/11/19 07:16

 「七五三」と「八手の花」の季題研究の発表は、それぞれけん詩さんと、三 枝子さんだった。 知らなかったこと、面白かったところだけ、記す。

 「七五三」の行事は、意外と歴史が浅いのだそうだ。 三代将軍徳川家光が、 四男徳松(後の五代将軍綱吉)の病弱を気遣って、五歳の祝いとお祓いを11 月15日に行なったのが、旗本に広まっていったのだという。 したがって、 もともとは関東圏の行事だったが、次第に全国に広まっていった。 11月15 日は、「鬼宿(きしゅく)」の日にあたる。 鬼宿は、暦の上で重要な「二十八 宿」の一つで大吉日なのだそうだ(ただし、婚礼は除く)。 太陰暦では11月 15日は、必ず鬼宿になるのだそうだ。 「二十八宿」は、中国の天文学や占星 術で用いられ、月の軌道から計算し、天の赤道帯を28のエリア(星宿)に不 均等分割したもの、またはその分割の基準となった28の星座(古代中国では 星宮という)。

 「八手の花」。 植物をやっている人にとって「バイブル」のような牧野富太 郎『新日本植物図鑑』(北隆館)に、日本名「八ッ手」について、「ただなんと なくその分裂葉を眺めてつけた名であって、手形に多く切れ込むので数多いこ とを「8」で表現したもの」とあるそうだ。 三枝子さんはこの「ただなんと なく」がおかしいとおっしゃる。 「8」が数多いことを表す言葉に、八百万 (よろず)、八百屋、八百八町、八百八橋、嘘八百。