扇辰の「紋三郎稲荷」2008/11/25 06:49

 「いよいよ白熱してまいりまして…」と、ブルーグレイの着物に薄いグリー ンのハカマをつけて、扇辰は出てきた。 先代小さんの狸の絵を出すのに、楽 屋に名前は言えないが「小林様」から差し入れだの、よくご馳走になる、「和民」 でだのといい、その内、値がつくかもしれない、と色紙を希望されることがあ る、と言った。 「楽屋は、社会的常識を著しく欠いた者の集まり」と、医師 についての麻生発言も使った。 この一連、少し嫌味に感じた。 狸、狐、の つながりで「紋三郎稲荷」に入る。

 「紋三郎稲荷」は珍しい噺だが、2003.1.23.の落語研究会で柳家一琴が演っ たのを、25日の日記に書いていた。 榎本滋民さんの絶筆となった「落語掌事 典」を引用している。 お稲荷さんの狐は、祭神ではなく、神仏に仕えて神威・ 霊験を増進する「使わしめ(使い姫とも)」で、八幡の鳩、熊野の烏、比叡(日 枝・山王)の猿、春日の鹿、弁天の蛇などと同様、親族・従者の意味の「眷族 (けんぞく)」とも呼ばれる。 霊性に富み、憑(つ)いたり化けたり善導した り懲戒したりすると信じられてきた、という。

 扇辰はよく演っていたのだが、どうもすっきりしない。 あとで考えてみる と、噺自体があまりすっきりした噺ではなかった。

 「紋三郎稲荷」のある笠間の牧野家の侍、山崎兵馬が風邪を引いたので、狐 の胴着を着込んで、取手の渡しから松戸まで駕篭に乗り、シッポが出ていたの を、駕篭屋が狐を乗せたと勘違いする。 兵馬は、紋三郎の眷族になりきって、 松戸の本陣、紋三郎稲荷を信仰する高橋清左衛門のところに泊まり、デザート の宮崎産完熟マンゴーまでの大御馳走を食べ、話を聞いて詰めかけた近在の者 どもから賽銭を申し受ける。 翌朝、夜の明けぬ内に逃げ出すのを見て、庭の お稲荷さんの祠の下から、小さな狐が二匹、「人間は化かすのが、うめーや」

ハンマースホイの静謐<等々力短信 第993号 2008.11.25.>2008/11/25 06:53

 国立西洋美術館の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展を見た。  高を括って行ったので、大入り満員だったのにびっくりした。 NHK「新日曜 美術館」が紹介した直後だったが、それだけではなさそうだった。 「フェル メールを思わせる写実的な室内表現」が、東京都美術館の「フェルメール展」 との相乗効果を生んだのかもしれない。 さらに、ハンマースホイ(1864-1916) には、物語がある。 このデンマークの画家は、生前ヨーロッパで高い評価を 得たが、没後、急速に忘れられ、近年再び脚光を浴びるようになった。 ポスタ ーの「背を向けた若い女性のいる室内」の印象が強烈で、どうも、黒い服を着 た女性の後姿や、ほとんど家具がない固く閉じられた白い扉の部屋ばかり、描 いたらしい。 その静けさは、人を惹きつけずにはおかないのだ。 画家が寂 しければ、それを見に行く人々もまた、それぞれに寂しいということだろうか。

 90点という予想外の数の作品が来ている展覧会を見てみると、必ずしも後姿 だけではない。 初期の妹アンナの肖像はもちろん、コペンハーゲンのストラ ンケーゼ30番地のアパートにいる妻のイーダも、こちらを向いているものが ある。 妹の肖像がとてもいい、そしてその作風と題材が、生涯にわたって一 貫していることがわかる。 外景では、住居に近いクレスチャンスボー宮殿を 繰りかえし描いているし、ロンドンの街や、ところどころに森のある草原の風 景も描いている。 しかし、どれもグレー系統の色を多用して、霧のかかった ような、独特の静寂に満ちている。 見ていると、気持がしんと落ち着いてく るような気がする。 私の好きな有元利夫や、版画の浜口陽三の世界に通じる ものがある。 ハンマースホイは、寡黙で人と打ち解けず、人前に出るのも嫌っ ていたという。 ドイツの詩人リルケは「絵を描くことしかできず、描く以外 のことはするつもりがない」と評しているそうだ。 その空の色を見ていて、 彼の絵には画家の心象に加え、北欧の気候風土が、深刻に反映されているので はないかと思った。

 ハンマースホイを見ながら、『三好達治詩集』にある「冬の日」を思い出した。 ああ智慧は かかる静かな冬の日に/それはふと思ひがけない時に来る/人影 の絶えた境に/山林に/たとへばかかる精舎の庭に/前触れもなくそれが汝の 前にきて/かかる時 ささやく言葉に信をおけ/「静かな眼 平和な心 その 外に何の宝が世にあらう」