山本五十六、苦渋の真珠湾攻撃作戦 ― 2014/08/24 06:45
しかし日本は対米戦への道を歩み、山本五十六は、皮肉にも真珠湾攻撃作戦 を立案することになる。 米国視察と駐在で、将来戦における飛行機の重要性 に気づいていた山本は、航空主兵の構想を持って、航空部隊の育成に努力を重 ねた。 だから従来の対米作戦計画、いわゆる戦艦隊中心の西太平洋決戦には、 重大な疑問を抱いていた。
6年前、大分県立先哲史料館の堀文書の中から、山本が昭和15年11月に対 米戦争を想定して計画し、及川古志郎海相にその考えを述べた「戦備訓練作戦 方針等ノ件 覚」(昭和16年1月7日記)が発見された。 「述志」2通ととも に、それを発見した大分県立高田高校の安田晃子教諭は番組で、「昭和14年 には命に代えても反対すると言っていた戦争を、気持を切り替えて戦争の指揮 をとらなければならなくなった山本さんの気持を考えると、この史料の重大さ に、こういう史料を私が発見してよかったのだろうかと思う位、感慨深いもの があった」と語っていた。
山本が立案した作戦は、航空隊による米軍拠点、真珠湾の破壊だった。 「開 戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して、米国海軍および米国民をして救うべからざ る程度にその志気を阻喪せしむること」を目指し、戦争を短期終結させること が、日本を守る一縷の望みと考え、山本は真珠湾攻撃作戦にすべてを賭ける。
日米開戦が避けられなくなると、山本は堀への手紙(昭和16年10月11日 付)で、こう告白している。 「大勢は既に最悪の場合に陥りたりと認む。今 更誰が善いの悪いのと言った所ではじまらぬ話也。個人としての意見と、正確 に正反対の決意を固め、其の方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なも の也、之も命(めい)といふものか」。
この手紙を大分県立先哲史料館で見たという半藤一利さんは、その話をしな がら涙ぐんだ。
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