『童蒙をしへ草』のワシントン2014/08/09 06:08

 福沢諭吉がジョージ・ワシントンについて、『福翁自伝』以外では、どのよう に言及しているか。 ありがたいことに『福澤諭吉全集』の索引を見れば、い ろいろと出てくる。 その中での主なものは、『西洋事情』(『全集』第1巻) 巻之二の「亜米利加合衆国」の史記に「華盛頓(わしんとん)」として登場する のと、『童蒙をしへ草』(『全集』第3巻)の第20章「職分に就き誠を盡す事」 の「(ロ)将軍ワシントンの事」である。 ここでは、興味深い『童蒙をしへ草』 を紹介してみる。 まず、現代文への下手な試訳から…。

 「将軍ワシントンの事」。 アメリカの大統領ワシントンに一人の友達がいた。  この人はワシントンとともに出陣してイギリスの兵と戦い、戦争が終わって からも毎日のようにワシントンの家に出入りする親友だった。 元来さっぱり とした気性で、差し出がましくもなく、親しみやすい人だったが、事を為す才 気にはちょっと乏しいところがあった。 たまたま、よい官職に空きが出来て、 大統領が任命することになった。 みんなは、その人物こそ、国のために軍功 もあり、大統領とは格別の間柄なので、彼を任命するだろうと考えた。

 ところで、この役職に就くのに適した人物が、もう一人いた。 この人は格 別の人物で、才気には申し分がなかったけれど、国の政治上の問題で、かねて ワシントンと議論が合わなかった。 大統領のために功績を挙げたこともなく、 その仕事を妨げようとしたことさえあったので、大統領に親しい人達もこの人 と不和だった。 だから、その役職に就けることなどないだろうと思っていた ら、意外なことに、大統領にこの役職を命じられたのは、大統領の友でなく、 その政敵だったのである。

 このことについて最初から心配していた人が、ワシントンのもとに行き、今 度の人事は不都合だという趣旨のことを述べると、大統領は答えて言った。  「私の友達とは、私個人の心をもって交わるのだ。 その人は私の家に来てい ると、心地よい。 私個人の心に対して、心地よいのだ。 しかし、その人物 は察するところ、性質はよいけれども、事を為すべき男ではない。 一方の人 は、政治上の議論では私の敵であるけれど、これは私個人の心でもって、どう にもすることはできない。 私はジョージ・ワシントンではなくて、合衆国大 統領である。 ジョージ・ワシントン個人の身をもっては、初めの人に対し力 を尽くして親切にするけれども、合衆国大統領の身としてはこれをどうにもす ることはできない」と。