三田演説館百二十年〔昔、書いた福沢66〕2019/06/21 07:10

             三田演説館百二十年

       <等々力短信 第700号 1995(平成7).3.15.>

 演説館といえば、野村清さんの歌集『老年』に、こんな「ど真ん中の直球」 がある。

     演説といふ語をつくり演説館を造りし慶応の福沢諭吉

 1月15日の「等々力短信」第694号の「戦後五十年の常識」にご登場いた だいた、福沢諭吉と演説の研究者・松崎欣一さんが、昨年12月10日、福沢 諭吉協会の土曜セミナーで「三田演説会百二十年」という講演をなさった。  講演を拝聴し、あとで草稿のコピーも頂戴した。 それによって演説と演説館 の歴史をたどってみよう。 三田演説会の発足は明治7(1874)年の6月 27日(『福沢諭吉全集』によると小泉信三の父信吉がスピーチ、デベートの 法を説いた米書を福沢にもたらしたのが明治6年春夏、スピーチを演説と訳し た『会議弁』の刊行は明治7年らしい)、三田演説館の開館は翌年、明治8年 の5月1日のことだそうだ。 以来「三田演説会」の名は、慶應の中で特別な 意味を持つ講演会の名称として今日まで受け継がれ、近年では年二回の開催を 例として、662回という数になっている。 また、演説館も三田演説会や学 位授与式、さらに慶應の大切な記念日(彰義隊の戦争におかまいなく福沢が講 義をした)であるウェーランド経済書講述記念日の講演会など、特別な行事の 会場として使われ続けている。

 昨年のウェーランド経済書講述記念日の講演会は5月16日に行なわれた。  文学部の講義も一つ担当している松崎さんは、その講義の時間帯とたまたま 重なったので、ふと思い付いてその学生たちと一緒に聴講してみた。 法学部 の内池先生が「法律学者・神戸寅次郎」と題し、大学部法律学科第一回の卒業 生で、法学部の基礎を創った神戸寅次郎の人と学問の話をした。  史学科の 二、三年生を主とした松崎さんの学生たちは、翌週の授業で「今までぼやっと 過ごしてきたけれども、勉強をしなければいけないなと思った」とか、中に入 るのは初めてで「会場は古めかしくてあまり立派とはいえないけれども、ふだ んは見かけない年配の人も大勢聴いていて、ちょっとおごそかな雰囲気の中で 緊張したが良い経験をした」と感想を述べたという。  松崎さんは「要する に、講演を聴くうちに、福沢先生を始めとする諸先輩がいろいろな意味で勉強 してきた、その場所に今自分がいるのだということを実感できたのだと思いま す。 これが「伝統」というものの力なのだろうと思いました」と、まとめて いる。 セミナーのマクラだけしか紹介できなかったので、あとは活字になる のをご期待下さい。

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