「柳田格之進」の娘<等々力短信 第1128号 2020(令和2).2.25.>2020/02/25 07:07

 等々力短信45年になった。 創刊は1975(昭和50)年2月25日、1995(平 成7)年3月25日に「700号、20年記念の会」を浅草ちんやで開いて頂いた。  その折、余興に一席演ってもらったのが、真打になる前の三遊亭歌武蔵である。  あれから25年、先月21日、国立小劇場の第619回「TBS落語研究会」で、 トリを務めたのが三遊亭歌武蔵、演目は「柳田格之進」、人情噺の大ネタをたっ ぷりと聴かせたのだった。

 江州彦根藩士柳田格之進、清廉潔白を煙たがられ、上役の讒言でお役御免と なり、江戸浅草阿部川町の裏長屋住まい。 娘お絹の勧めで材木町の碁会所へ 出かけ、浅草馬道の大きな質屋、萬屋源兵衛と仲良くなり、萬屋の離れで碁を 打つようになる。 八月十五夜、月見の宴に招かれ、碁を打ったが、柳田の帰 った後、五十両が無くなる。 番頭の徳兵衛は、浪々の柳田を疑い、そんなお 人ではないと主人の止めるのも聞かず、翌朝阿部川町へ。 お上に届けると聞 き、柳田はその場にいたのは拙者の不運、五十両を出そうと。 娘のお絹は、 腹をお召しになるのは無駄と言い、親子の縁を切ってもらい、吉原に身を沈ま せて、五十両を作る。 盗らぬものなら、かならず他から出ます、萬屋の両名 をお斬りになって、武士道をお立て下さいますよう。 翌日、番頭は喜んで五 十両を受け取り、万一金が出たら主人と二人の首を差し出すと約束する。 怒 った萬屋源兵衛は金を返しに行くが、父娘はすでに立ち去っていた。 萬屋は 店の者皆で、柳田を探すが、見つからない。 暮の大掃除に、離れの額の裏か ら五十両が出る。 源兵衛は厠に立ち、そこに挟んだのだった。 正月、年始 回りの途中、番頭の徳兵衛は、湯島の切通しで、立派な武士、帰参が叶い三百 石取の柳田格之進と出くわす。 話を聞いた柳田は、何たる吉日なるぞ、明日 行くので、首を洗っておけ。 翌日、えーい、という掛け声とともに、床の間 の碁盤が真っ二つ。 両名を斬らんとしたが、主従の情を目の当りにして、柳 田の心が揺らいだ、両名を助けてつかわす。 番頭と鳶頭が吉原に行き、お絹 を身請けして来る。 父上がよろしければ、絹に異存はございません。 やが て、お絹と番頭が萬屋源兵衛の夫婦養子になり、そこに生れた子が柳田の家督 を継ぐ。

 この噺、後味が悪い。 娘の絹が吉原に身を沈めて、五十両を作ったからだ。  立川生志はリアル、絹を琴と変え、帰参する柳田が身請けに行くが、親子の縁 を切ったと拒み、帰参を承知で自害する。 歌武蔵は、古今亭志ん生、志ん朝 のやり方をほぼ踏襲している。 志ん朝は、今なら慰謝料何とかしてよ、を入 れた。 春風亭小朝、身請けした絹が言葉を失ったのを、番頭がしばしば見舞 う。 柳家花緑、二番番頭の吉之助が柳田の屋敷に通って、絹の心をほどき結 婚、徳兵衛は暖簾分けしてもらう。

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