福沢索引2006年3月のブログ・池井優さんの「戦後日本外交の展開とスポーツ」[昔、書いた福沢227]2020/02/27 07:20

池井優さんの「復活!名講義」<小人閑居日記 2006.3.20.>
 2008年に創立150年を迎える記念事業の一つ「復活!慶應義塾の名講義」、
池井優法学部名誉教授の「戦後日本外交の展開とスポーツ」を聴く。

その試合は現場で観た<小人閑居日記 2006.3.21.>
 池井優さんの話の中に、幸運にも子供の頃、その現場にいた試合がいくつか
あって、自分史に重なる。 父のやっていた工場が日大水泳部のプール・合宿
所に近かったので、古橋広之進、橋爪四郎ら“フジヤマのトビウオ”たちは身
近な存在だった。 オドゥール監督率いるサンフランシスコ・シールズとの「日
米野球」の試合を観ている。 ボクシングの世界フライ級タイトルマッチで、
白井義男がダド・マリノを破って、世界チャンピオンになった試合も、同じく
後楽園球場で観た。

古橋広之進さんへの父の手紙<小人閑居日記 2006.3.22.>
 古橋広之進さんは、昭和60(1985)年12月2日から31日まで日本経済新
聞に、「力泳五十年」と題する「私の履歴書」を連載した。 和綴の製本をして、
古橋さんに送った、それに添えた父の手紙。

ふんどしと水泳パンツ<小人閑居日記 2006.3.23.>
 占領下の当時、接収されていた神宮プール、試合の時だけという条件つきで、
使用が許可された。 1947(昭和22)年8月8日、全日本水泳選手権大会の
決勝、古橋広之進400m自由形準決勝で、古橋さんは4分38秒4の世界新記
録で泳いだが、日本の水泳連盟が国際水泳連盟から除名中のため、未公認の幻
の世界新記録となった。
(当時のことは、田畑政治さんを主人公にした2019年の大河ドラマ『いだて
ん』の後半で描かれた。)

オドール監督、そして「水泳の人」<小人閑居日記 2006.3.24.>
 オドール監督の前で踊った記憶があるという、ガールフレンドからのメール。 
「水泳の人」は、キッパス監督、昭和25(1950)年の水泳日米対抗にコンノ、
マックレーンらをひきいて来日したアメリカチームの監督。