福沢索引2005年10月下旬のブログ[昔、書いた福沢221]2020/02/21 07:10

地方の近代化を担った伊東要蔵<小人閑居日記 2005.10.25.>
 福澤諭吉協会の旅行で、浜名湖周辺、伊良湖岬、鳥羽、湯の山温泉、琵琶湖
周辺を周遊した。 慶應義塾に学んだ伊東要蔵は、福沢が構想した「地方から
の近代化」を担う日本型「ミッズルカラッス」の典型的人物。 この地域の政
治・産業・教育の振興、治水事業に尽力した。

伊東家所蔵の福沢書幅<小人閑居日記 2005.10.26.>
 福沢自作の漢詩二幅。 富田正文先生の『福澤諭吉の漢詩35講』(福澤諭吉
協会刊)で読む。 明治19年の浜松・豊橋の三日間「丙戌春地方漫遊」と、
明治16年の米搗き健康法「手用の米臼に題す」。

二川宿本陣は馬場家だった<小人閑居日記 2005.10.27.>
 東海道五十三次で吉田宿(豊橋)の一つ手前、33番目の宿場・二川(ふたが
わ)宿に残る本陣、豊橋市二川宿本陣資料館を見学。

鳥羽の門野幾之進記念館<小人閑居日記 2005.10.28.>
 鳥羽は、福沢の高弟の一人、門野幾之進の出身地。 14歳で新銭座の慶應義
塾に入り、2年後には16歳で教員(ボーイ教師)となり、教頭、副社頭として
多くの人材を育てた。 福沢が紹介し「保険」を実業として生かすため、明治
37年千代田生命保険会社を創立、わが国の保険事業発展のために尽くした。

福沢精神のキーワード<小人閑居日記 2005.10.29.>
 門野幾之進記念館にも福沢の書幅。 「戯去戯来自有眞」、「戯れ去り戯れ来
り自ら眞あり」。 「伯夷其心而柳下恵其行」、「其の心を伯夷(はくい)にして
其の行を柳下恵(りゅうかけい)にせよ」。 靄渓山人、門野幾之進自身の横額、
「源泉滾々(こんこん)」、服部理事長に教わる、『福翁百余話』八「智徳の独立」
に、「独立自尊の本心は百行(ひゃっこう)の源泉にして、源泉滾々到らざる所
なし。是れぞ智徳の基礎の堅固なるものにして、君子の言行は他動に非ず都(す
べ)て自発なりと知るべし」。 福沢精神の核心、まさに源泉なのであった。

伊勢路・近江路と旧東海道<小人閑居日記 2005.10.30.>
 伊勢海老尽くしの昼食。 ミキモト真珠島、海女の実演。 湯の山温泉、寿
亭泊。 ロープウェーで御在所岳。 近江八幡を散策、近江牛のすきやき。
井伊家と姫街道、そしてお土産<小人閑居日記 2005.10.31.>
 伊東家の細江町の北にある井伊谷は、井伊家の出たところで、龍潭寺という
京都妙心寺派の菩提寺もある。 井伊家の力が強かったこの地方は、旧東海道
の脇道、本坂(ほんさか)道(姫街道)があり(気賀、三ヶ日、山嵩(すせ)
の三宿)、浜松、豊橋と深い関係を結ぶことができた。(この地方のことは、後
に2017年に大河ドラマ『おんな城主 直虎』で詳しく知ることになった。)