「宮中祭祀」は明治になって創られた「伝統」2020/05/21 07:00

 原武史さんの『昭和天皇』(岩波新書)では、昭和天皇や平成の天皇皇后が宮 中祭祀をきわめて重要なものと考え、熱心だったことがわかるけれど、一方、 新嘗祭を除くほとんどが、明治になって創られた「伝統」だったこともわかる。  令和の新しい天皇像皇后像を模索する今上天皇も、雅子皇后も、そのあたりを 自由に考えられてもよいのではないかと思い、5月6日にあらましを出したが、 前に書いた全文を引いておく。 なお、明日ちょっと触れる『昭和天皇』のあ とがきで知ったのだが、昨日出した保阪正康さんと原武史さんの『対論 昭和天 皇』(文春新書、2004年)という本があるそうだ。

      等々力短信 第999号 2009(平成21)年5月25日

                 お濠の内の祭  

  「象徴天皇 素顔の記録」(4月10日・NHKスペシャル)で、知らなかったこ とがいくつかあった。 その一つは、日本国憲法で天皇家の私的な行事となっ た、春分の日の春季皇霊祭・春季神殿祭に、皇族方はともかく、今でも総理大 臣始め三権の長(江田五月参院議長の姿もあった)が参列していることだった。  この二つの祭は旧皇室祭祀(さいし)令(1908(明治41)年制定)で「大祭 ニハ天皇皇族及官僚ヲ率ヰテ親ラ祭典ヲ行フ」とある「大祭」にあたる。 皇室 祭祀令は、日本国憲法が施行される前日の、1947(昭和22)年5月2日に廃 止された。 だが、天皇は今でも、皇居の宮中三殿で一年間に、三十回前後も 行なわれる「宮中祭祀」に出席している。

 原武史さんの『昭和天皇』(岩波新書)を読むと、昭和天皇が宮中祭祀をきわ めて重要なものと考え、熱心だったことがわかる。 高齢の天皇に配慮して、 入江相政侍従長が祭祀の負担軽減を進めても、11月23日の新嘗(にいなめ) 祭にはこだわり、「夕(よい)の儀」だけは自らが行なった。 新嘗祭は本来「夕 の儀」と「暁の儀」の二つの祭から成り、二時間ずつの正座が必要で、夕方か ら未明までかかる。 昭和天皇は新嘗祭が近づくと、テレビを見ている時でも あえて正座し、その日に備えたという。 「素顔の記録」でも、現天皇がテレ ビを見る時は、ほとんど正座して備えていると、一昨年まで務めた渡辺允前侍 従長が語っていた。 原武史さんは、現天皇が「現皇后とともに、宮中祭祀に 非常に熱心で」「その熱心さは、古希を過ぎても一向に代拝させないという点で、 昭和天皇を上回っている」と書いている。 昭和天皇も、現天皇も皇后も、見 るからに、真面目なお方のようだ。 その強い責任感で、“皇祖皇宗”からの「伝 統」に縛られているところがあるのではないか。 1960年代生れの、皇太子ご 夫妻の悩みも、一つには、そのあたりに発してはいないのだろうか。

 京都東山区に泉涌寺(せんにゅうじ)という真言宗の寺がある。 江戸時代 には天皇家の菩提寺で、御寺(みてら)と称した。 室町時代前期の後光厳か ら江戸時代末の孝明(明治天皇の父)まで歴代天皇の葬儀は、神式でなく、泉 涌寺で執行された。 明治維新後、天皇を中心とする明治新政府の樹立という 大変革は泉涌寺に大きな変化を与えた。 新政府は祭政一致を方針とし、神道 の国教化を推進した。 「宮中祭祀」も、新嘗祭を除くほとんどが、明治にな って創られた「伝統」なのである。