高橋三千綱さん「帰ってきたガン患者」最終回2021/04/21 07:03

 『図書』に断続的に連載されてきた高橋三千綱さんの「帰ってきたガン患者」が4月号で最終回を迎えた。 この日記には、これまでの分を下記に書いてきたので、最終回も取り上げないわけにはいかない。
作家がガンになって考えたこと<小人閑居日記 2020.10.20.>
丸五年の禁酒、Y字路「愉快」の先に<小人閑居日記 2020.10.21.>
食道動脈瘤手術を四度受ける<小人閑居日記 2020.10.22.>
近藤誠先生のセカンドオピニオン<小人閑居日記 2020.10.23.>
少女の物語に『気』をもらって<小人閑居日記 2020.10.24.>
天国に来たかと思ったら、奇跡的だった<小人閑居日記 2021.1.7.>
自主退院して、ヘギ蕎麦を食べる<小人閑居日記 2021.1.8.>

 最終回の題は「それでも 私は瞑想する」である。 「医者嫌いを自認するおっさんがよくいるが、その人の家族からは評判がよくない。これは価値観の違いに原因がある。家族は医者に診せれば体がよくなると思い、おっさんはただ医者を信用していないだけなのである。」と始まる。

 「この場合、断然おっさんが正しい。」とする高橋三千綱さんは、8年前に肝硬変の合併症である破裂寸前の食道静脈瘤の処置を相談に行って、食道ガンでステージ3、胃ガンでステージ3から4の告知を受けた。 T大学医学部付属八王子病院のチームO御大の静脈瘤を硬化させて電気メスでもぎ取る手術を受けたが、いっしょに食道ガンをやっつけてくれた。 しかし次の胃ガンの手術は拒絶、「瞑想と気流法で退治する」ことにする。 気流法とは、息を大きく吸ったら、意識的に長く吐き出す呼吸法で、それを瞑想と掛け合わせて、高橋さんは、半年後に死ぬと宣告されたステージ4の胃ガンを退治、7年間ガンのことを忘れて暮らしたというのだ。

 だが、2019年5月食道狭窄の症状が出て、7月食道静脈瘤手術、9月10月は食道ガンの放射線治療、11月命懸けの食道狭窄症の手術を受ける。 前日には「食道が破裂して大出血を起こし、即死する可能性もある」と宣告されていた手術は奇跡的に成功し、バルーンの先導で広げると、出血もなく、ちゃんと胃まで内視鏡が入って、胃にあった静脈瘤も取れた。 30センチにも進行して、食道を狭めていた食道ガンが消えていた。 そして、1月8日のこの日記に書いたように消化器内科の担当女医の許可が出ずに、一悶着あって、自主退院した。

 そんな事情だから、私などは、T大学医学部付属病院は、以後の診療や入院も断るのかと思ったら、そんなことはないのだった。 天国にいる気分でおせち料理を食べた2020年73歳の新年も、1月末になって喉がつかえ出し、2月3日に翌日退院の、5月18日に即日退院のO御大の食道狭窄手術、7月28日の手術では出血があり9月1日まで入院した、コロナウイルスの第二波の頃で院内感染を心配した。 2か月ごとにやっていた食道狭窄手術だが、10月12日にO御大に内視鏡検査とバルーン処置を受けて5日間入院、胃の静脈瘤手術が必要だと判明、10月25日から再び入院する。 二週間入院して、胃の静脈瘤手術とともに初期胃ガンの表面を焼きAPC(アルゴン・プラズマ凝固法)という治療を施された。 つぎは12月7日に食道狭窄手術を受け、地元の評判のよい眼科で白内障手術を受けることもあり、また2か月もすれば手術を受けることになるのだから、あまり相手を不愉快にさせないで、という家人の言葉を無視して、翌日さっさと自主退院した。

 それでも瞑想はしているのだろうか。 わがままな高橋三千綱さん、忍耐強く親切な医師と病院に恵まれた、なんとも強運の人である。

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