入船亭扇遊の「きゃいのう」 ― 2023/08/05 07:10
扇遊は、薄緑の着物、濃緑の羽織。 九代目扇橋の通い弟子になって、九時前に師匠の家に行き雑用をする。 半年で前座、楽屋でお茶を出すのだが淹れ方が難しい、苦いのが好き、熱い、ぬるい、飲まない師匠もいる。 太鼓を叩く。 履物を揃える、師匠の性格で、行くぞと忙しい人は、互い違いに置く、股ずれの人は、幅を広げて、女性には内股に。 二ッ目で駆け出しになり、15~20年で真打になる。 控え目に生きて、控え目にいなくなる。 清く、貧しく、美しく。 受けなくても、自分の責任だ。
芝居の役者にも、下積みの苦労が多い。 一言セリフを言うまでにも。 通行人、ガヤ、鳥居の下に二、三人いると、侍がどけ、どけ! と通る。 頭取、役は何ですか? 腰元だ。 白粉(おしろい)がない。 壁はがして、塗れ。 何で塗る? ビラ貼る糊で。 大部屋の連中は、衣装屋さんが苦手。 便所の前、乞食の衣装と同じところだ。
床山は、江戸っ子で、すぐ頭に来る。 カツラは、つかえているから、どんどん行け。 もう腰元、おしめえか。 一人、拝んでる。 名前は? 団子兵衛。 初日、来なかったな。 衣装がなかったんで。 帯がなかったら、物干竿の代わりに使っていた。 役者になって、何年になる? 三年です。 お前にやるカツラはない、そっちへ行け。 何で初日に挨拶に来ねえんだ、泣いてんのか、泣くのは、親が死んだ時と、がま口落とした時だけだ。
自分は、四国の丸亀の人間で、父母が反対するのを、金ごまかして、故郷(くに)を飛び出した。 高田馬場の早稲田劇場で、役が付いたと手紙を書いたら、父母が丸亀から出て来た。 宿へ送っていくと、出なかったじゃないかという。 出ました。 見損なった、どこに出た? 山崎街道の猪、やってた。 去年、ミナト座で、役が付いた。 手紙を書くと、父母がまた出て来た。 熊谷次郎直実の、乗っている馬の脚だった。 今年は、腰元、いよいよ二本の足で立てるようになった。 台詞だってある。 父母が客席で待っている。
わかった、それならカツラを都合してやろうと、床山の親方は煙草を吸いながら、奴(やっこ)にカツラを探させる。 残っているカツラは、石川五右衛門の百日鬘と、沢市の禿げズラ、坊主じゃないな。 苦労しろよ、若え内は、苦労は買ってでもしろという。
腰元、金魚のフンか。 一言、セリフがある。 何て言うんだ。 親方に言ってもわかりません、「きゃいのう」と。 舞台に出た腰元三人、垣根のところを掃いていると、乞食が来て、腰元1「エエむさくるしい」、腰元2「トットと外へ出て行」、腰元3の団子兵衛「きゃいのう」となる、予定であった。
そうだ、去年、相撲取が女形をやった時の図抜け大一番のカツラがあった。 早く持って来い。 団子兵衛にかぶせると、鼻の下まで入って、前が見えない。 ズラの中に、かうものを探して、そこらにあった南京豆のカラをつめて、かぶせる。 深く、頭を下げるな。
さっき親方の吸っていた二服目の火玉、前に叩いたでしょう。 南京豆のカラの中に落ちていたから、たまらない。 タボん所から煙が出ている。 「エエむさくるしい」、「トットと外へ出て行」、団子兵衛の台詞がなかなか出て来ない。 やり直し。 「エエむさくるしい」、「トットと外へ出て行」、もう一度、やり直し。 頭から煙が出て来て、「エエむさくるしい」、「トットと外へ出て行」、…「トホホ、あっついのう」。
最近のコメント