芭蕉43歳、自分の方法を発見2005/07/23 08:49

 “井上ひさし不連続講座”「俳句とはなにか、芭蕉と一茶」も、ようやく芭蕉 まで来た。 19歳の寛文2(1662)年の最初の句から、多彩な技巧を操る達者な 人という時期が長く続く。 やたらに漢詩を使い出し、俳句のリズムをくずし てやってみた時期もあった。 そうした言語操作を、芭蕉は自分のほんとうの ものではないと、不満だった。 41歳、構造改革しなければだめだと、自分を 危ない所に突き落とす。 自分を旅に出す。 水盃で旅に出る時代だ、人生が 旅、旅が人生、自分を旅に見立てる。(野ざらし紀行) 芭蕉らしいのは、最後 の十年。

  古池や蛙飛びこむ水の音

 は、43歳の芭蕉が自分の方法を発見した句。 それまでの蛙は、鳴くだけだ った。 対象を見ていって、対象と自分とが一緒になった。(子規) 静けさを 沁みこませている自分がいる。

  荒海や佐渡に横たう天の川

 大きな宇宙や海と、それを見ている(世界最小の)自分を、詠み込む。 ちっ ぽけな自分が、大きい宇宙を詠み込んでいる、入れ子細工。 宇宙のように大 きなものを、十七音で言葉にできる、人間の脳の素晴しさ。 それは宇宙と同 じ大きさ。 言葉の限界が、その人の広がった世界。 自然の大きさ、寂しさ、 恐ろしさ。 それを見ている自分が、つねにいる。

 井上さんは、芭蕉の自分を取り去りながら、普遍にしていき、しかも芭蕉が 見ているんだということのわかる、推敲の例もあげ、芭蕉や一茶でさえ、こう も推敲するのだから、普通の人が、句を大事にして、作りかえていくことは「作 法」だと言った。