西川俊作先生のコメント2005/07/19 08:20

 中村宗悦大東文化大教授の話はよくわからなかったが、あとで西川俊作先生 がなさった質問というかコメントで、トンネルの先にわずかな光が見えた気が した。 田口卯吉は原理主義者(自由主義経済学者)だが、福沢は原理に忠実で はない。 状況に応じて、柔軟に意見が変えられる。 コロッとひっくりかえ るところがある。 明治26(1893)年と30(1897)年では意見が違う。 福沢(大 隈)は、インフレーショニストではない。 管理通貨主義で、貿易が伸びること を考えている、というようなお話だった。

 西川先生は今、例の『福澤全集』「時事新報論集」の「無署名論説認定」問題 に関連して、日清戦争が始まった明治27(1894)年の『時事新報』を全部、論説 から雑報まで、見ておられるのだそうだ。 当時の『時事新報』は、今の日経 のような地位で、相場や商況が売りだった。 明治27年前半は、金銀問題の 論説・雑報が多いのに、後半は日清戦争で、金銀問題は飛んでしまっている、 という。

 西川先生が明治27年の『時事新報』を全部見ておられるというお話に感じ 入った。 それで泥縄だが、『福澤書簡集』の明治26年から28年のところに、 何か貨幣制度についての言及があるのではないか、と思いついた。 しかし、 ざっと見たところ、残念ながら、当時森村組ニューヨーク支店長だった村井保 固宛、明治27年5月28日書簡(1843号)で、わずかに触れているのだけしか見 つからなかった。 「日本商界之好景気も、畢竟ハ金貨騰貴之賜ニこそあれバ、 何卒金銀之議論をして、三、五年之間落着せしめざるやう致度、文明国人が小 田原評議ニ日を暮す其間ニ、日本人ハ金を儲けて且芸能之熟達を致し度存居 候。」 註に、「『金貨騰貴之賜』は、銀貨国の日本の輸出が伸長したことをいう」 とあった。