馬翁、大磯の高麗山に登る ― 2007/05/03 07:08
29日の昭和の日、3月14日の「福沢に俳句や短歌はあるか」に書いた、福 沢が登って歌を詠んだ大磯の高麗山に登ってきた。 大磯の裏山「高麗山(こ まやま)に登る」という福沢の歌は、 四方八方を眺る吾も諸共にながめの中の人にこそあれ ブログを読んだ大磯、それも高麗山の麓に住む山崎君が、ハイキングを計画 してくれたのだった。 山崎君には一昨年の夏、夫婦で平塚に絵を見に行った ついでに、鰻の老舗「国よし」を始め大磯散策の案内をしてもらって味をしめ た経験があった。 今回も馬場夫婦に、同期同級の友人二名が参加、計五名の 一行となった。
大磯駅に10時の集合、まず福沢が避寒に大磯の松仙閣に滞在して「大磯の 恩人」(『全集』20巻383頁)という文章に書いた、日本初の海水浴場大磯の首 唱者松本良順の墓のある妙大寺に寄る。 お寺の裏山は、坂田山心中の坂田山。 この山に随筆「ぶらりひょうたん」の高田保さんの墓がある高田公園があると いう話だったが、そこへの上りはきついので、山崎家に寄り、東小磯という住 宅地から高麗山に連なる湘南平に登った。 標高200メートルほどの小山だが、 登りはなかなかのもので、いちおう登山の気分を味わう。
先日、66歳になった。 福沢さんの死んだ歳だ。 山に登りながら、福沢が 高麗山に登ったのはいくつの時だったろうか、と考えた。 「大磯の恩人」を 書いたのが明治26年2月20日、数え年で60歳だった。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。