勝海舟もパークスの力を利用2009/01/05 07:09

去年の3月から半藤一利さんが、慶應丸の内シティキャンパスで、勝海舟の 話をするというので、その時は聴いてみたいと思いながら、忘れていた。 そ の「半藤一利 史観 『海舟が見た維新・明治』」~歴史作家 半藤一利が語りお ろす、もうひとつの明治維新史~という12回にわたる特別講座が、『幕末史』 (新潮社)という本になった。

暮に本屋で見つけたので、パラパラめくっていたら、勝海舟と「万国公法」 の話が出てきた。 慶應4(1868)年3月15日に江戸城総攻撃が予定されて いた時期である。 『明治維新の舞台裏』にもあるが、勝海舟もまたパークス の力を最大限に利用した。 勝海舟はアーネスト・サトウを通じて、パークス に意志を通じていた。 13日に西郷の命を受けてパークスに江戸城攻撃の了解 を得に行った東海道先鋒総督府参謀木梨精一郎は、慶喜に過酷な処分をするこ とと、横浜も混乱し貿易に影響する戦争に、強硬な反対を表明されてしまう。  『幕末史』で半藤一利さんは、3月27日に勝海舟が単身横浜のイギリス公使館 へ行き、朝から夕方まで待たされても、悠然と待ってパークスに面会、その人 柄と誠実さ、胆力から信頼を勝ち得たエピソードを語っている。

翌28日(『明治維新の舞台裏』では4月1日)、西郷は横浜のイギリス公使 館でパークスに会うが、パークスに慶喜とその支持者たちに寛大な処置を取る ことを確認される。 西郷はパークスに「万国公法」上も自分たちの処分案が 非難されることはないか尋ね、非のうちどころがないと褒められている。 西 郷は、パークスのかげに勝海舟が手を回していることを察し、幕府側こそ「万 国公法」において罪ある訳で、幕府がこれ以上外国人へ余計な依頼をすること はないだろうなと、釘をさしている。 半藤さんは西郷が、「万国公法」(国際 法)が国内戦にも及ぶと考えていたことは、面白いと言う。

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