小満んの「長者番付」2010/07/27 06:53

 小満ん、一昨年「盃の殿様」、昨年「宮戸川」を聴いて感心、ファンになって しまった。 古い形の噺家という風があり、さらりと円生のような薀蓄の披露 もある。 もともと桂文楽門下で桂小勇といったが、師の死去で小さん門下に 移り、昭和50(1975)年(私が短信を始めた年)柳家小満んで真打になった。

 江戸時代の酒の話から入る。 上方からの「下り酒」が珍重され、地回りの 酒とは格が違った。 江戸にも山谷ハンザブロウの山印、「隅田川」などという 地酒があり、隅田の川水で造るなどといわれていた。 「下り酒」は、伊丹、 池田から来て、品川沖に着き、霊岸島、新川の界隈に上がる、その三日で練れ るといった。 伊丹の剣菱が人気で、七ツ梅、瀧水などというのもあった。

 江戸からの旅の者が二人、田舎を行く。 白壁の造り酒屋らしいのを見つけ て、ノドが鳴るような酒が呑みたいと寄る。 だが、一升などというハシタは 売れない、五升、うちは造り酒屋だ、という。 どのくらいなら売るかと訊け ば、馬に一駄、ひと樽二丁、車なら五,六丁、船なら五十などというから、江 戸っ子、「何だ、うんつく」と啖呵を切る。 大戸を締めろ、閂をかえ、逃げら れないようにしろ、それまで人影もなかったのに、ねじり鉢巻で、棒を持った 男たちが大勢出て来る。 「ちょっくら、聞かせてもらいてえ、うんつくのワ ケを」と。 壁に勧進相撲の番付が貼ってあるのから思いついて、長者番付を 江戸では「うんつく番付」という。 西の大関は鴻池善右衛門、東は三井八郎 右衛門。 鴻池はもと、池田のちっぽけな造り酒屋で、どぶろくを造っていた が、奉公人の手癖の悪い野郎が辞めさせられた腹いせに、仕込み桶(キンコ・ 三十石入)に火鉢の灰を火鉢ごと放り込んだ。 すると、澄んだ酒が出来、け っこうな味、鴻池はこれを樽廻船で江戸へ出し、手形なんてものも考えたのが、 運の着き始め、うんつく、どうんつく、大(おお)うんつく。 もののついで に三井はといえば、越後の浪人くずれ、六十六部になって諸国を回り、伊勢の 松阪に来て無住の廃寺に泊った。 夜中に人魂が三つ、外に出て古い井戸に入 った。 明るくなって調べると、空井戸で、横穴が三つ、それぞれに千両箱。  役人に届けると受け取り人がなし、その三千両で松阪木綿をしこたま買い込ん で、江戸の日本橋で越後屋、現金掛け値なしの商売で、一大金持と、うんつく になった。 「うんつく」は江戸の流行り言葉、ほめ言葉だ。  造り酒屋は「おらが酌すべえ、山吹色、こくがあって、うめえ酒だ」と、す っかり信用する。 お返しに、酒が呑みたければ、「新川から来た、利き酒させ てくだせえ、と言え」と、教えてくれる。

 期待の小満んなのに、すっきりしなかったのは、余り演らない噺の例にもれ ず、噺自体に責任があるような気がした。

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