本を「つけで」買った話 ― 2011/12/10 04:19
岩波少年文庫の創刊は1950(昭和25)年だということだが、私の記憶では講 談社版「世界名作全集」も、戦後は(戦前の創刊と宮崎さんの本の62頁にあっ た)その年か、前年の1949(昭和24)年の刊行開始だったと思う。 表紙は四分 割したそれぞれに西洋の紋章が描かれたデザインで、背表紙は紺、オレンジ色 の題字が入っていた。 第一期の十冊が定価180円、第二期に200円になった。
以前、「そもなれそめ」という一文に、私が子供の頃に何を読んで、本好きの 道に入ったかといえば、この講談社版「世界名作全集」だった、懐かしい上に、 その恩は、計り知れないと、書いたことがある。 その時「小遣を貯めたりし た200円をしっかり握りしめ、本屋に走ったことを思い出す」と書いている。 ところが最近、作家の畑正憲さん(76)の「人生の贈りもの」(1)(朝日新聞11月 28日夕刊)を読んで、もう一つの側面があったことを思い出した。 畑さんは、 こう話している。 「中学校に入った時、父がようやく開業(開拓団で医師をし ていた旧満州から3年ほど遅れて引き揚げ、日本の医師免許を取るため猛勉強 の後)しました。父は市内の本屋に僕を連れて行き、オーナーに『この子にはつ けで売ってくれ』と言ったのです。私には何よりものプレゼントでした。ツル ゲーネフやトルストイなど、小説の訳本を、浴びるように読みました。」
もう一つの側面というのは、私も本を「つけで」買っていたことがあったか らだ。 戦後、父の仕事が発展した一時期があった。 その弘進堂(?)という 本屋さんは、自宅と工場との間の品川区小山にあって、父が利用していた。 ど ういう事情だったのか、その本屋さんが、私の小学校のすぐそばに越して来て、 後にはさらに自宅近くに移ってきた。 ご主人は背の低い人で、わが家では冗 談に「一寸堂」と呼んでいた。 その本屋さんが「つけ」だった。 「つけて おいて」と言って、もらって来ることが出来たのだ。 「小遣を貯めたりした 200円」との関係がどうだったのか、今となっては判然としなくなってしまっ た。 畑正憲さんの話を読んで、子供に本を読むことを奨励した親の恩の、有 難さを思い出すことになった。
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