福沢の思想には儒教的な所がかなりある2011/12/25 03:52

 今日の結論部分、まったく私の手に余るもので、一応は書いてみるが、一応 書いたという域を出るものではないことをお断りしておく。

そのように儒学(朱子学)の教義をまとめて説明した後、渡辺浩教授は福沢の 儒教批判を四点述べた。

 (1)「古を慕ふの病」…古を慕って、少しも自己の工夫を交えず、いわゆる精 神の奴隷(メンタルスレーヴ)となって、今の世にいて、古人の支配を受けるの は、儒学の罪。 この『文明論之概略』第九章の指摘を、渡辺浩教授は正鵠を 得ているとした。

(2)陰陽五行…福沢はニュートン以降の科学によって、妄説と斥けた。 ただ し『論語』には「陰陽五行」は出てこない。

(3)儒教主義教育…政府の儒教理解に対する批判。 「儒教主義の実際を見れ ば、決して純粋の道徳学には非ずして、大半政治学を混同す。……左れば彼の 儒書の中より其徳教の部分のみを引分けて之を利用せんなどの考は、唯是れ不 学者流の頭脳に往来する妄想にして、取るに足らざるものなり。」(「儒教主義」 1883 )

(4)男尊女卑批判…正当。 ただし政治は男性の担当として、男女の役割分担 を福沢は批判していない。

 そこで結論、渡辺浩教授は、福沢の思想には儒教的なところがかなりあると して、慶應は朱子学の根幹を引き継いでいる、東アジアの正当な継承者だと言 い、「独立自尊」と「議論の本位」の二つを挙げた。

 (1) 独立自尊…渡辺浩教授は、小室正紀さんの「朱子学と福澤先生の考え方 の間には、ある種の共通性があると言っていいと思います。それは強い主体性 を備えた個人が出発点であるという考え方です。」(「江戸の思想と福澤諭吉」、 『福澤諭吉年鑑』32号、2005年、138頁)という見解に賛成だという。

 (2) 「議論の本位」…「脩身学とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天 然の道理を述べたるものなり。」(『学問のすゝめ』初編)  福沢は、天然の道 徳、自然法を尊重した。 『文明論之概略』第一章「議論の本位を定る事」と いうのは、ある主張の本当の値打、真価を定めるにはどうすればよいかの章で ある。 福沢が読んだジョン・スチュワート・ミルにも、ギゾーにも、客観的 真実、真価についての言及がある。 それらは東洋の思想、儒教と響き合うと ころがあった。

 「苟も一国文明の進歩を謀るものは欧羅巴の文明を目的として議論の本位を 定め、この本位に據て事物の利害得失を談ぜざる可らず。」(第二章)

「文明の物たるや至大至重、人間万事この文明を目的とせざるものなし。」(第 三章)

生活の中のデザイン<等々力短信 第1030号 2011.12.25.>2011/12/25 03:57

「DOMA秋岡芳夫展」を目黒区美術館で見てきた。 「モノへの思想と関係 のデザイン」という、わかりにくい副題がついている。 秋岡芳夫さん (1920-1997)は、工業デザイナーで、童画家、学習雑誌の付録の設計、木工家、 東北工業大学教授、地域興しのプロデューサー、道具の収集家などの多彩な顔 を持つ。 目黒区中町のDOMA(日本の伝統的な対話の場・生産の場である「土 間」をイメージ)と名付けた自宅を拠点に活動したので、目黒区美術館での展覧 会開催となったのだろう。

秋岡さんは、50年代に金子至、河潤之介と三人で「KAK(カック)」というデ ザイングループを立ち上げ、ラジオやカメラ機器、家電製品、オートバイなど の工業デザインで実績を積み、「メカに精通したデザイナー」として時代の波に 乗る。 60年代は、学習研究社発行の『科学』『学習』の教材デザインにも参 画、飛躍的に販売部数を伸ばす。

私がテレビ番組や本などで秋岡さんの影響を受けるようになったのは、60年 代後半以後、家業のガラス工場で食器の生産にかかわるようになり、家庭を持 った時期だった。 高度成長期の当時、秋岡さんは企業の生産性を重視するデ ザインの在り方に疑問を感じて、視点を個人の暮しや日本各地の手仕事や生産 者に移していた。 そこから、良いものを永く使おうと「消費者から愛用者へ」 や「手の復権」という言葉が生まれた。

1980(昭和55)年10月、「生活の中のデザイン―日本の知恵と伝統」と題した 朝日ゼミナールで、秋岡さんの「生活と身体で測る」という講義を聴いたノー トがある。 つぎの道具類の共通点は何か? そば猪口、二合五勺入りの昔の 徳利(ストレートの形)、ごく普通の湯呑、かんな(大きい方から二番目の力仕事 用)、お茶の缶、アルコールやベンジンの瓶、ビール瓶、ワインの瓶。 ぜひと も実際に測ってみて頂きたいのだが、これら全て、直径が75ミリになってい る。 日本で昔から「二寸五分もの」と呼ばれてきたこれらの道具類は、 (1)指先で軽く持てる、(2)力を入れるのに適当、(3)男女兼用の「手頃な」―、 握り寸法として、生活の中で「身体に聞いて」作られてきた。 古今東西の人 間がバラバラに作ってきたものが、同じ寸法になっているのが大変面白い。

展覧会を見て、元来土足用の外国製の椅子の脚を短く切ったことや、いろい ろな用途に使え(一器多用)、入れ子なので保管や地震にも強い「そば猪口」が、 わが家にあるのは、秋岡芳夫さんの影響だったことを、あらためて思い出した。