井上靖の短篇小説『補陀落渡海記』2011/12/17 04:41

 この日の講演、神野富一甲南女子大学教授の「海の補陀洛信仰」を、聴いて みたいと思ったのは、「補陀落渡海」に興味があったからだった。 2005年の 1月に世田谷美術館で「祈りの道 吉野・熊野・高野の名宝」展が開催され、 家の近くの宮本三郎記念美術館で行われた展覧解説(担当学芸員石井幸彦さん) を聞いた中に「補陀落渡海」の話があった。

 9世紀半ばから10世紀初頭(*註)、熊野那智の海岸からはしばしば補陀落(ふ だらく)渡海が行われたという。 海岸線にある補陀落山寺の僧が単身、インド の南海岸にある、観音菩薩の住む浄土である補陀落(チベットのポタラ宮の「ポ タラ」と同じ)をめざして、30日分の食糧だけを積んだ船で出かけたのだ。 風 まかせ、船室は板戸で打ち付けられたというから、いわば即身成仏の一つの形 である。(*註…19日、神野富一教授の研究による異論を紹介する予定)

それで、井上靖の『補陀落渡海記』という短篇小説を読んでみた。 まだブ ログを始める前の〈小人閑居日記〉に書いていたので、引用しておく。

井上靖の『補陀落渡海記』<小人閑居日記 2005.1.18.>

 井上靖に『補陀落渡海記』という短篇があるのを知った。 講談社文芸文庫 の「井上靖短篇名作集」の表題になっている。  戦国時代の永禄8(1565)年に補陀落渡海した補陀落寺の住職金光(こんこう) 坊のことが書かれている。 一生を補陀落寺で過ごした僧として、金光坊にも、 修行に修行を積んで、いつか自分も渡海するだけの高い信仰の境地に到達する 日が来るだろうという悲願はあった。 金光坊の前、三代の住職がすべて、61 歳の11月に補陀落渡海していた。 永禄8年、金光坊は61歳になった。 べ つにそうしなければならないという掟はないのだが、その年の11月には補陀 落渡海するのだろうという世間の見方から逃れられぬ羽目に立ち至った。 外 出すれば、賽銭を投げられたり、生仏のように拝まれたり、浄土への携行物を 託されたり、死にかかっている病人の額に触らせられたりした。

 それからの葛藤の日々、春から夏にかけては自室にこもり、経を誦している か、気抜けしたように室内の一点へ眼を当てていた。 それは渡海上人たちが 海にはいって、その霊がなるといわれているヨロリという魚の眼のようだった。  そしてついに補陀落渡海の日がやって来る。 結果は書かないが、悲惨なもの であった。