「奴雁(どがん)」福沢と前川日銀総裁2012/04/22 03:00

 「奴雁(どがん)」という言葉を、ご存知だろうか。 福沢諭吉の使った言葉 で、私はどこかで読んだことがあったのだが、その場所も、意味も、すっかり 忘れていた。

 服部禮次郎さんが、財界人文芸誌『ほほづゑ』2012年春・第72号に書かれ たコラム「好きなことば」で、その疑問は氷解したのであった。 それは明治 7(1874)年6月、『民間雑誌』第三編に寄せた論説「人の説を咎む可らざるの 論」(『福澤諭吉全集』第19巻512~5頁)にあった。

 「語に云く、学者は国の奴雁なりと。奴雁とは群雁野に在て餌を啄むとき、 其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、 之を奴雁と云ふ。学者も亦斯の如し。天下の人、夢中になりて、時勢と共に変 遷する其中に、独り前後を顧み、今世の有様に注意して、以て後日の得失を論 ずるものなり。故に学者の議論は現在其時に当ては効用少なく、多くは後日の 利害に関るものなり。甘き今日に居て辛き後日の利害を云ふ時は、其議論必ず 世人の耳に逆はざるを得ず。これがため、或は虚誕妄説の譏(そしり)を招く ことあれども、其妄説なるものは唯、今世の耳に触れて妄説なるのみ。其耳と 其説と孰(いずれ)が正しきや、今日を以て裁判す可きに非ず。」といい、一例 として、仮に天保年間に断髪廃刀の説を唱える者がいたとしたら、どうだった ろう、と言っている。

 服部禮次郎さんは、この「奴雁の説」が100年をへだてた1980年代になっ て、時の前川春雄日銀総裁によって大きく取り上げられたことを、紹介してい る。 前川総裁は「日銀は、まさに国の奴雁であるべきだ」という固い信念を 持っていたというのである。 前川は入行5年目ぐらいの時、神戸支店長の遠 田淳が年頭訓示で、福沢の奴雁の説と日銀の役割について話したのを聞いたの だそうだ。 在任5年で総裁を辞した2年後1986年の「前川レポート」は有 名だが、貿易摩擦を回避して内需依存型へ転換し、そのために産業構造を改変 し、閉鎖市場を開放するなどの提言を、服部さんは「二十五年さきの現在の日 本の課題をお見通しのような処方箋であったといえよう」という。 浪川攻(お さむ)著『前川春雄「奴雁」の哲学―世界危機に克った日銀総裁』(東洋経済新 報社2008年)という評伝があるそうだ。

コメント

_ 笠原章 ― 2012/06/05 02:15

ずっと捜していた言葉でした。数十年近く前に聴いて、間違えなく前川さまがよく揮毫されたと言う言葉でした。群が渡る時、周りを把握し先頭に立っつものとの意味も言われて居られたと記憶しております。

_ 轟亭 ― 2012/06/05 10:09

それは、よかったです。慶應義塾の雑誌『三田評論』の4月号でも、『学問のすゝめ』の座談会で日銀国際局の御船純さんが、「現代に生きる福澤諭吉のことば」で大久保忠宗普通部教諭が、この言葉に言及しています。

_ 橋本かおり ― 2013/05/26 00:18

2013年 5月の「三田評論」でも引用されている言葉です。今年3月の慶應義塾卒業式での清家塾長式辞が紹介されていて、福沢諭吉の言葉を借り「実学」「公智」「奴雁」の精神を説いていました。前川日銀総裁が「奴雁」を取り上げていたことはこのブログで知りました。

_ 神崎公伸 ― 2014/03/24 17:41

奴雁とは福沢諭吉先生の言葉とは卒業生なのに最近知りました。こような時に必要な人物と想いいろいろ探しましたが、どこにも正式な役目になつた部署もなく、火の見櫓も半鐘をうつ人もないという状況にはビツクリしました。
昔はよくテレビで解説しているひとがいたようですが。いつの間にか居なくなりこまつていました、これからでも遅くないので是非セツチしてぎろんをたたわせていただきたいです。

_ 大久保忠宗 ― 2015/02/26 22:45

コメントで名前を挙げていただいた大久保です。日記、時折拝読しております。
三田評論の連載で書いた「学者は国の奴雁なり」の文は、奇しくも同じ号で日銀の方がこれを取り上げておられ、私にも思い出深いものです。前川さんを知る関係者の間では、日銀スピリットのようになっているようですね。語自体の解説とともに、前川さんのエピソードや、中国では本来「雁奴」であることなどの話を加えて書きました。この言葉は学生時代に土橋俊一先生から教わったもので、福澤先生の言葉の中でも大事なものだと思います。

_ 轟亭 ― 2015/03/01 11:11

大久保忠宗様
 コメントをありがとうございます。 『三田評論』にご連載の「現代に生きる 福澤諭吉のことば」も、あと2回、4月号で「その100」になりますね。 貴重で有益なお仕事だと存じます。 土橋俊一先生には、私も可愛がって頂き、「等々力短信」を読んで下さっていて、たびたびお便りを頂戴しました。

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