秋山駿著『忠臣蔵』~泰平の元禄、平和の平成 ― 2012/11/06 06:40
これも新潮社『波』の整理中に見つけた。 ちょうどBSプレミアムの『薄 桜記』(今、総合で放送中)にはまっている頃だったから、気になったのだ。 秋 山駿さんの『忠臣蔵』である。 2007年10月から連載され、2008年11月に 単行本になっている。 秋山駿さんは文芸評論をする人ぐらいの認識で、読ん だことがなかった。 『忠臣蔵』文中に、ご自身を語っているところがある。 喜寿(七十七)に達した。 終戦の玉音放送は旧制中学三年生(15歳)、動員 されていた軍需工場で聞いた。 早稲田(仏文科)を出て、スポーツ新聞社に 15年弱勤め、1969、70年にかなりの多くの記者がロックアウトに遭う新聞社 には珍しい労働争議があった。 ロックアウトされた組合員であるにもかかわ らず、組合からは会社側とみられ、両者の対立の激しい嵐に見舞われて、居場 所がなくなった。 ごく「普通の人間」として、ごく普通の考えを言っていた だけなのに…。 とうとう「浪人」する、会社を辞めるに至った(別に文芸評 論家として自立するためでなく)。 早稲田でも、メーデー事件から早大事件へ 至る動きのとき、クラスで同じような目に遭った。 「わたしは、この国日本 は、けっこう住むのに怖い、油断ならぬ処、と感じている。」
秋山駿さんは、『忠臣蔵』の事件が起こった元禄という時代を、今、平成19 (2007)年と似ているという。 泰平(平和)が続いて、享楽の気分がみなぎ り、奢侈に走るのが時代の流行である。 大坂城陥落と敗戦を0年とすると、 元禄15(1702)年は、平成44(2032)年に当るから、われわれの爛熟は、ま だ青いけれど、と。 これは不景気が20年続いているという話と矛盾するよ うだが、秋山駿さんは「十一、「女」の世界と内蔵助」で、「女」の世界は、い つも、泰平の時代の象徴であり、爛熟する文化の根底を支えるものだとして、 銀座や青山の表通りに立ち並ぶブランドショップを見よという。 ブランド品 で身を飾って、芸術や話題づくりのイベントに繰り出す女性たちの活発な勢い、 その先駆的なモデルが、元禄時代の江戸である。 このとき外国ブランドと比 喩してよいものが「京都文化」。 当時将軍家始め諸大名は競って女を京都に求 め、京都貴紳の姫君は陸続として江戸に下り、武家の家庭に入って御台所とな り奥方となり側室となった。 かくして大奥を始め諸侯の奥向きには京都風の 優美な風俗が流入し、女たちは己れの身を飾る美服の欲求に赴いたので、江戸 には大呉服店が勃興した。
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