武田晴人東大教授の「日本経済の今を考える」2013/12/18 06:31

 昨秋は日吉の公開講座「日本ってなんだろう」を受講したが、今年は図書館 のチラシで見つけた世田谷市民大学の後期の土曜講座に通った。 まず「近代 日本と福澤諭吉~オルタナティブとしての福澤~」が目に入ったのだが、「日本 経済の今を考える~歴史的視点から~」も取ることにした。 講師は武田晴人 東大教授。 経済の話を聴くのは久し振りだ。 5回の講義は、経済成長の意 味、経済成長の可能性(環境の制約と成熟した経済社会から)、財政再建、高齢 化社会を考察した(第1回は志木会大会で欠席)。 武田教授は、しばしば「経 済史家だから」と言い、長いスパンで問題をとらえた。 「高成長」はひとつ の歴史的で一時的な現象(せいぜい20年)に過ぎず、「高成長」が持続すると いう根拠はない、というように。 感じるところがあったことを書いておく。

 激しい物価の変動、成長率の推移は、(1)人びとの生活、(2)企業活動の計 算可能性を脅かす。 そのために経済システムの安定性が求められてきた。 市 場経済が本来的に累積的悪循環を排除できないために、それを抑制することが、 経済政策、経済制度の設計上の課題であったことを、近現代の歴史は示してい る。 第二次大戦後の高成長、それに続く低成長、成長の本当の成果は「豊か さのなかの安定」だ。

 国民生活選好度調査などで、一般の人たちは「安心安全に暮らせる社会」「ゆ とりや思いやりのある社会」、経済システムの安定を求めている。 GDPの大 きい社会が第一義的に求められているわけではない。 それなのになぜ経済成 長が政策の第一に優先する事項になるのか、それは本当に可能なのか。 現実 の生活感覚として、長い不況から、将来への不安は増加しているし、老後の見 通しは暗い。

 問題は、成長がこの求められる社会と、現実の不安との乖離を埋められるか どうか。 経済成長は、環境の制約だけでなく、経済システムの発展に内在し た制約もある。 経済社会の成熟は、高成長を再現できない。 その理由は、 市場経済の持つ根源的な不安定性(失業の増大や物価の激しい振幅)の克服困 難と、多様性(消費が「個性的」になり大量生産では対応できない)の増大に 伴う制約だ。 

 経済成長の可能性を環境の制約から考える。 経済成長、エネルギーの安定 供給、地球温暖化問題への貢献を「三位一体」で実現する手段としての原子力 発電というシナリオは、3.11以後、崩れてしまった。 部門別最終エネルギー 消費を1990年度と2010年度を比較すると、合計7.8%増の内訳は、産業部門 -6.0%、民生部門35.1%、運輸部門6.6%。 問題は民生部門の過剰消費。 3.11 以降、原発に依存しなくとも電力不足は発生せず、消費の抑制が実現している。  その消費抑制の持続、代替自然エネルギーの普及促進、原発廃炉費用の捻出(次 世代に付けを回さない)のためには、「電気料金値上げ」は不可避。

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