半藤一利さんの「リーダーシップ論」 ― 2021/02/19 06:56
半藤一利さんが、2012(平成24)年になさった「リーダーシップ論」という講演の記録を弟が送ってくれた。 半藤さんは日本におけるリーダーシップの嚆矢を西南戦争に見ている。 総大将は有栖川宮熾仁親王、参謀長の山県有朋以下、戊辰戦争での長州、土佐、肥前の歴戦の士が参謀として補佐した。 総大将は、素人でもいい、権威があって厳かでゆったりとした人柄であればいい。 それに代わって、しっかりとした優秀な人間を参謀として付け、作戦を立てて勝利した。 ここに日本陸海軍の「参謀重視」の伝統が生まれ、参謀を養成する陸軍大学校、海軍大学校が作られた。 陸軍士官学校、海軍兵学校は、指揮官の養成をする。 「参謀重視」は日本のリーダーシップ論の典型となった。
日露戦争での、陸軍の大山巌、海軍の東郷平八郎は、そうしたリーダーの手本とされた。 重箱の隅をつつくようなことは言わず、泰然自若として、参謀達が知恵を絞って立てた作戦計画を、「うん、これでようごわす。これで行きましょう」と言った、という神話が出来た。 しかし半藤さんは、大山巌も、東郷平八郎も、細かいことを言った、物凄く作戦に口出ししたと言う。 日露戦争は、実はギリギリの戦争で、これで戦争をやめなければ、その先どうなったかわからないという状態で終結できた戦争だった。 そうした戦争の中味をみんな国民に知らせたのでは、国民が怒り出すだろうということで、国民に隠して、大勝利とした。 隠したことが、やがて大正、昭和に、とんでもない軍人を生むことになった。 大山巌も、東郷平八郎も、参謀に任せる悠々としたリーダーの手本として神話になった。
半藤さんは、日本海海戦の東郷平八郎連合艦隊司令長官について、司馬遼太郎が『坂の上の雲』で「東郷さんは(バルチック艦隊が)「対馬海峡に来る」と言っていた。その一言が東郷を世界の東郷にした」という形で書いているが、それも神話だとする。 『極秘明治三十七八年海戦史』が三部つくられ、明治天皇(宮中)、海軍大学校、軍令部に保管された。 太平洋戦争に負けた時、海軍の二部は焼却されたから、宮中だけに残り、昭和天皇が病気になられた時、国民に見せたほうがよいという天皇の言葉で防衛庁の戦史室に置かれたのを、半藤さんは見た。 その真相は、また明日。
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