カキの海の再生に森に木を植えた人2021/10/19 07:25

 朝ドラの『おかえりモネ』(安達奈緒子・オリジナル脚本)が、大団円を迎えようとしている。 気仙沼の亀島で祖父(藤竜也)がカキを養殖し、以前は民宿をやっていた永浦家の長女、モネの百音(ももね・清原果耶)が、高校を卒業して、内陸の登米の大山主・新田サヤカ(夏木マリ)の所に下宿して、山林組合の見習い職員になる。 モネの祖父とサヤカとは、何らかのつながりがあって、親しい。 モネが島を出る決心をしたのには、東日本大震災の時に、たまたま父と仙台にいて、不在だったトラウマが深く関係しているらしい。 モネの父(内野聖陽)は銀行員、母(鈴木京香)は元小学校の先生、妹未知(蒔田彩珠(あじゅ))がいる。 山林組合に人気の気象キャスターの朝岡(西島秀俊)がやって来る。 組合の診療所には東京の医師菅波(坂口健太郎)が通ってくる。 朝岡から森と海の気象、大自然の関わりを聞き、モネは気象予報士になる勉強を、菅波の手助けで始め、やがて試験に合格、東京に出てテレビの気象情報に関わることになる。 そして、故郷のために役立ちたいと…。

 たまたまテレビ欄で、深夜にETV特集「カキと森と長靴と」という番組を知り、これは『おかえりモネ』の祖父のモデルに違いないと思って、録画しておいた。 2018年1月20日放送の仙台局制作番組の再放送。 素晴らしい番組だった。 気仙沼の舞根(もうね)湾のカキ士、畠山重篤さん(現在77歳)が主人公だ。 私は『おかえりモネ』のモネの名は、舞根(もうね)から思いついたに違いないと思った。 畠山さんは、人生をカキに捧げている。 フランスのシェフがミスター・オイスターと呼ぶ。 舞根湾のカキは、ころっと熟成し、味が甘く、色がよい、粒がしっかりしていて、手をかけているのがわかる。

 畠山重篤さんは、1943(昭和18)年に上海に生まれ、会社員だった父親が戦後、故郷舞根(宮城県唐桑町)へ戻りカキ養殖を始めた。 川や海で川エビを捕ってメバルやハゼを釣り、山でキジを追う少年時代を送った。 気仙沼水産高等学校卒業後、家業のカキ養殖を継ぎ、北海道から種貝を取り寄せて宮城県で初めてホタテの養殖に成功した。

 高度成長期を迎えた1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃から、舞根を含む気仙沼湾沿岸では生活排水で海が汚染されて、赤潮が発生するようになる。 1個のカキは200リットルの水を吸う。 その水に含まれる赤潮プランクトンのために、血のような赤いカキ「血ガキ」になる。 「血ガキ」は廃棄せざるを得ず、廃業する漁師が続出するようになった。 子供の頃に山を歩き回っていた畠山さんは、陸にも原因があると感じていた。

 どう対処するか悩んでいた時、テレビで北海道大学の先生が、沿岸域の海の生物生産と、川と森林が密接に関わっているという話をしていた。 すぐその晩、夜行で北海道へ行く。 先生から、植物プランクトンがカキのエサになる、と言われた。 鉄分、リン、窒素が重要だということは、わかっていた。 水質調査には費用がかかる。 困っていると、母親が船を新しくする時のお祝いにと貯めておいた金を、調査費に使えと出してくれた。 森林の腐葉土の中に酸化されない鉄分がある。 十年かかるが、森林が復活しない内は、解決しない。

 畠山重篤さんは語る。 「私は木を植え始めた。結果が出るか分からぬ取り組みを、誰もが白い眼で見ていた。」 30キロ上流の室根山(現在は矢越山)の人たちに、「皆様のおかげで我々漁師が生きています」と言うと、そういう感謝の言葉を初めて聞いたと協力してくれた。 標高800メートル、「カキの森」と名付けられた。

 植え始めてから二十年後、植物プランクトンで海が満ちあふれた。 畠山重篤さんは、エッセイストでもある。 「森が海を、海は森を、恋いながら、悠久よりの愛、つむぎゆく。森は海の恋人だ。」

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