男女の交際、肉交と情交を論ず2024/03/28 07:09

 明治19年の『男女交際論』にはまた、こうある。 「元来男女の交際には二様の別あり。之に名を下(く)だせば、一を情感の交(まじわり)、一を肉体の交とも云うべきものならん。肉体の交とは文字の如く両生の肉体直接の交にして、人間快楽の中にても頗(すこぶ)る重きものなり。然りと雖も爰(ここ)に一歩進めてその交際の全体を視察し、裏より表よりその微細の事情を吟味するときは、男女の間柄は肉交を以て事を終るべきものに非(あら)ず。殊(こと)に人文漸(よう)やく開進に赴き、人の心志(しんし)を用る区域漸く広まりて、心事漸く多端なるに至れば、情感の馳(は)する所も亦(また)広く且(かつ)多端にして、男女の交際単に肉交の一事に止まるべからず。双方相互(あいたがい)に説を以て交(まじわ)り、文事技芸を以て交り、或(あるい)は会話し或は会食する等、同生相互の交際に異(こと)ならずと雖も、唯その際に微妙不可思議なるは異生相引くの働(はたらき)にして、双方の言語挙動、相互に情に感じ、同生の間なれば何の風情もなき事にても、唯異生なるがために之を聞見(ぶんけん)して快く、一顰(いっぴん)一笑の細(さい)に至る迄も互に之に触れば千鈞(せんきん)の重きを覚えて、言うべからざるの中(うち)に無限の情を催(もよ)うすその趣(おもむき)を形容すれば、心匠巧(たくみ)なる画工が山水の景勝に遇(あ)うて感動し、一片の落葉、一塊(いっかい)の頑石(がんせき)も、その微妙の風韻は他人の得て知らざる処に存するものゝ如し。即ち是れ男女両生の間に南風(なんぷう)の薫ずるものにして、之を名(なづ)けて情感の交とは申すなり。扨(さて)その情交の濃(こまやか)なること斯(かく)の如くにして、一方の肉交は如何(いかん)と云うに、固(もと)より重んずる所のものなれども、肉交必ずしも情交に伴うを要せず、両様の間甚(はなは)だしき距離あるものにして、各(おのおの)独立の働を為すのみならず、その性質を吟味すれば、肉交の働は劇(げき)にして狭く、情交の働は寛(かん)にして広く、而して人間社会の幸福の根本として両様の軽重如何を問うものあらば、我輩はその孰(いず)れを軽(かろ)しとして容易に答ること能(あた)わず、唯両様ともに至大至重(しだいしじゅう)にしてその一を欠くべからずと答えんのみ。」

 福沢の『男女交際論』は、よく売れた本で、海賊版も四つ出ている。 批判する本も多数出た(明日、触れる)。 森有礼は、青年の時、薩摩藩の密航留学生として西洋を見ており、契約結婚もしているのに、文部卿の立場としては、明治20年秋「第三地方学事巡歴中の演説」(『森有礼全集』第二巻)で、こう述べた。 「女子教育(上略)今夫(そ)れ女子教育の主眼とする所を要言せは、人の良妻となり人の賢母となり一家を整理し子弟を薫陶するに足る気質才能を養成するに在り、女子教育にして宜(よろし)きを得さる間は教育の全体鞏固(きょうこ)ならさるなり、国家富強の根本は教育に在り、教育の根本は女子教育に在り、女子教育の挙否(きょひ)は国家の安危に関係す、忘する可(べか)らす、又女子を教育するには国家を思ふの精神をも養成すること極て緊要なりとす、今国家の為めに要する女子教育の精神を言顕(いいあら)はさん為めに想像の例を挙くれは、母か孩児(がいじ)を養育する図、子を教ふる図、丁年(ていねん)に達して軍隊に入るの前母に別るゝの図、国難に際して勇戦する図、戦死の報告母に達する等の額面七八枚を教場に掲くること是なり。」                               (つづく)