諸学の連携と学者への援助2009/07/03 07:01

 (『渋沢敬三という人』つづき)  渋沢はまた、学問が細分化して目標を見失わないように、諸学の連携にも努 めた。 民族学協会会長として、人文科学の各学会によびかけ、昭和25年、 8学会連合、翌年には9学会連合を実現させ、その会長になった。 9学会と は、社会、人類、考古、宗教、民俗、民族、言語、心理、地理で、のちに考古 が脱会して、東洋音楽がこれにかわった。

 渋沢敬三は学問には素人だといつも明言し、自分は道楽に学問をするのだか ら、学者の仕事を尊重するのだといって、学者の面倒をよく見た。 ことに水 産学、農学、医学、民族学、民俗学、理学などの研究者で、渋沢の援助をうけ たものはきわめて多かった。 戦時中、左翼的であるとして弾圧を受けていた 多くの文化人を、かげになりひなたになってかばったり助けたりしている。 向 坂逸郎(さきさかいつろう)は、東大で同級生だった関係もあり、学校を追わ れて困っていた時、渋沢の援助をうけたことを、『学ぶということ』という著書 のなかに書いているという。 渋沢が大蔵大臣だった時、とくに進んで日本学 士院の会員に年金を支給し、またその金額の増額を決定したことを、小泉信三 が特筆している。