「團菊爺(だんぎくじじい)」 ― 2009/07/31 05:45
アリバイは証明された。 2009年7月24日(金)午後2時45分から、私 が三田の演説館にいたことが、慶應義塾のホームページの写真に出ているから である。 第688回三田演説会、演劇評論家犬丸治さんの「演劇人・高橋誠一 郎―観客として・先導者として―」を聴きに行って、「熱心に聞き入る聴衆」の 一人となった。
「團菊爺(だんぎくじじい)」という言葉から、犬丸治さんは始めた。 九代 目市川團十郎・五代目尾上菊五郎の没後、芝居は駄目になったと、何かにつけ て評する劇通の古老連中のことだ。 三島由紀夫も、歌舞伎の批評は「昔はよ かった」につきる、と言っているそうだ。 高橋誠一郎さんは、遠藤為春(い しゅん)、藤浦富太郎とともに「團菊爺」の三幅対の一人と目されているという。 だが、高橋誠一郎さんには、他の「團菊爺」と一線を画す視点があったという のが、この日の犬丸治さんの講演の眼目だった。
歌舞伎座は明治22(1889)年に開場しているが、高橋誠一郎さんはその前 年に、4歳で新潟から横浜に転居し、その途次、浅草吾妻座で初めて歌舞伎を 観ている(「忠臣蔵銘々伝」「国性爺合戦」)。 千歳座(今の明治座)では、團 菊左(左は初代市川左團次)の舞台に接している。 4歳で観た舞台を記憶し ているのが、すごい。 注目点は(1)当時、メディアといえば錦絵の時代で、 それが後年の高橋誠一郎さんの歌舞伎や浮世絵の美意識へとつながっている。 (2)なにしろ歌舞伎座開場以前のことである。
小人閑居日記 2009年7月 INDEX ― 2009/07/31 09:39
4318 ユニークな目のつけどころ<小人閑居日記 2009. 7.1.>
4319 人間関係と社会の新しいモデル<小人閑居日記 2009. 7.2.>
4320 諸学の連携と学者への援助<小人閑居日記 2009. 7.3.>
4321 人をつくり、博士をつくり、書物をつくる<小人閑居日記 2009. 7.4.>
4322 大蔵大臣として財閥解体などにかかわる<小人閑居日記 2009. 7.5.>
4323 「継続は力なり」の「力」とは?<小人閑居日記 2009. 7.6.>
4324 名前は馬場だが、どうも牛だったらしい<小人閑居日記 2009. 7.7.>
4325 役に立たないことを一生懸命にやっている<小人閑居日記 2009. 7.8.>
4326 夢心地のお祝いスピーチ<小人閑居日記 2009. 7.9.>
4327 戦争で失われた十年<小人閑居日記 2009. 7.10.>
4328 渋沢敬三、人柄うかぶエピソード<小人閑居日記 2009. 7.11.>
4329 日銀総裁が一升ビンを提げて<小人閑居日記 2009. 7.12.>
4330 ミヒャエルと、マイケルと<小人閑居日記 2009. 7.13.>
4331 自転車旅行と教会堂<小人閑居日記 2009. 7.14.>
4332 わか馬の「鷺とり」<小人閑居日記 2009. 7.15.>
4335 ひな太郎の「酢豆腐」<小人閑居日記 2009. 7.16.>
4341 雲助の「髪結新三(上)」発端<小人閑居日記 2009. 7.17.>
4345 雲助の「髪結新三(上)」の物語<小人閑居日記 2009. 7.18.>
4346 三三の「ろくろ首」<小人閑居日記 2009. 7.19.>
4347 喬太郎の「布哇の雪」<小人閑居日記 2009. 7.20.>
4348 枇杷の会、明治神宮吟行<小人閑居日記 2009. 7.21.>
4352 わが選句と、『枇杷の会 第二回句稿集』<小人閑居日記 2009. 7.22.>
短信 4353 陰暦五月の季節感<等々力短信 第1001号 2009.7.25.>
4354 渋沢敬三の「絵引は作れぬものか」と「実業史錦絵絵引」<小人閑居日記 2009. 7.23.>
4355 児玉和子さんの句集『白梅の家』<小人閑居日記 2009. 7.24.>
4356 誕生の現場に立ち会った句<小人閑居日記 2009. 7.25.>
4357 入船亭遊一9年目、古今亭菊之丞は、その倍<小人閑居日記 2009. 7.26.>
4358 菊之丞の「三味線栗毛」<小人閑居日記 2009. 7.27.>
4359 喜多八の「煙草好き」<小人閑居日記 2009. 7.28.>
4360 圓太郎の「お血脈」<小人閑居日記 2009. 7.29.>
4361 雲助「髪結新三(下)」の結末<小人閑居日記 2009. 7.30.>
4362 「團菊爺(だんぎくじじい)」<小人閑居日記 2009. 7.31.>
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