東京の物流は「江戸の運河」の上に2012/03/07 02:16

 「ブラタモリ」第15回(2月23日放送)は「江戸の運河」の後編、本所深川 の古い絵図で、富岡八幡宮が島にあるところから始まった。 江戸時代の初期、 小名木川以南の埋め立てをする前、このあたりは永代島という島で、当初は永 代島八幡宮と呼ばれていた。 現在地に社殿が建ったのは寛永4(1627)年。 江 東区南砂7丁目に富賀岡八幡宮という社があり、ここが元地、元八幡という。  その後周辺の埋め立てが進み、そこに運河網が整備されていく。 運河を仲立 ちに、運河を取り囲むように新しい町がつくられ、信仰拠点としての富岡八幡 宮を中心に発展した。 そんな地域なので、細かい彫刻のある立派な狛犬を奉 納したのは、萬年橋に近い小名木川沿いの海辺大工町(船大工)の人々だった。  富岡八幡宮境内に五十五貫(200kg)の力持ちの卵形の石がある。 錦絵にある江 戸力持三ノ宮卯之助など、物流関係者の力自慢、力比べの石なのだ。

 つづいて一行は、隅田川沿岸、永代橋東詰の北側、江東区佐賀へ。 昔、肥 前の佐賀湊に地形が似ていることから、佐賀町と呼ばれていたここは、富岡八 幡宮近くの木置場、つまり木場に移るまで、細かい運河が縦横にあり、木材を 貯蔵していた。 木場の移転後は、一部運河を埋め立てて、蔵や貸し蔵が並ん でいた。 現在の佐賀も、企業の倉庫が並んでいて、物流の街の伝統は健在だ。  タモリ達は、ここでも埋め立てられた運河の痕跡を発見することが出来た。

 さらに東京湾岸で大手物流会社が軒を連ねる江東区新砂地区へ移動。 物流 の主役は、時代とともに水運から鉄道へ、さらにトラックへと変遷した。 現 代物流の最前線、日本一の規模を誇る巨大な新砂2丁目の新東京郵便局・東京 小包郵便局で、荷捌きの現場を見学する。 1日に3千便のトラックが出入り し、およそ2千万通の郵便物と40万個の小包を、驚くべきスピードで仕分け ている。 そして、トラックが走る首都高速道路は、江戸の運河やその埋め立 ての上につくられた。

結論、東京の物流は、江戸の物流の上に乗っているのである。