小泉八雲、鳩の鳴き声の版画 ― 2015/04/15 06:37
西光由さんは、高校の新聞部の一年後輩である。 ずっと「等々力短信」を 読んでもらっていて、お会いすると、昔、私が短信の附録につけて送った自作 の版画を、奥さんもお好きなので、ご自宅のダイニングルームに飾っている話 になる。 それはラフカディオ・ハーンが日本の山鳩の鳴き声について書いて いたのを、絵にしたものだ。 鳩は、鎌倉豊島屋の鳩サブレーのデザインを拝 借していた。 実は、私の手元には残っていない。 それで先日もその話が出 た時、写真を送ってくれるように、お願いした。
「等々力短信」にラフカディオ・ハーン、小泉八雲のことを書いたのを探し たら、まだ葉書に和文タイプ謄写版刷りの時代、1981(昭和56)年2月15日 の第207号から三回に分けて書いていた。 25日の第208号が、ちょうど満6 年ということで(今年40年だから、34年前)、附録につけたことがわかった。 それで、その版画の写真と、三回分の短信をご覧に入れることにする。
1981(昭和56)年2月15日 等々力短信 第207号
モースが明治10年最初に好きになった日本人達は、数年後の再来日の時に は本当に消滅してしまっていたのだろうか。
明治24年の松江。 日本におしよせた近代化の大波からは、ちょっとかく れた静かな入江であった。 貧窮した士族の娘で、23歳の小泉節子が中学の英 語教師で、17歳年上のお雇い外国人の妻になった噂が広がったぐらいだった。 「ママさん、あなた女中ありません。 その時の暇あなた本よむです。 た だ本をよむ。 話たくさん、私にして下され」。 夫人が家事をするとラフカデ ィオ・ハーンは不機嫌になったという。 節子は日本の古い伝説や怪談の本を あさり読んでは、ハーンに物語った。
われわれが幸福にも心のふるさとともいうべき共有財産として、「耳無芳一の 話」「食人鬼」「安芸之助の夢」「雪女」「力ばか」といった数々の物語を持って いられるのは、ハーンと、彼が松江で出会った日本人妻のおかげである。
1981(昭和56)年2月25日 等々力短信 第208号
「パパサマ、アナタ、シンセツ、ママニ、マイニチ、カワイノ、テガミ、ヤ リマス、ナンボ、ヨロコブ、イフ、ムヅカシイ、デス」。 明治37年夏、焼津 にいるハーンにあてて、東京の妻節子が送った手紙の一節である。 追伸は「ミ ナ人 ヨキコトバイイマシタ パパサマノ、カラダダイヂスル、クダサレ」
最近出た『小泉八雲 西洋脱出の夢』という本に平川祐弘さんは、「普通の日 本語の手紙を書くのに不自由はなかったはずの一日本婦人が、夫のためには『ヘ ルンさん言葉』を話し、『ヘルンさん言葉』で手紙を書いたことが尊いのである」 と書いている。
夫人が小泉八雲を語った「思い出の記」という文章がすばらしい。 筑摩書 房の明治文学全集48『小泉八雲集』に収められているのが一番入手しやすい。 ぜひご一読を。
おかげ様で短信満六年になりました。 心身の健康と時間の余裕に感謝。 附 録に私のいたずらを同封します。
1981(昭和56)年3月5日 等々力短信 第209号
朝、川ばたから、かしわ手を打つ音が聞えてくる。 松江の人たちは、だれ もかれもみな、朝日にむかって「こんにちさま、どうか今日も無事息災に、け っこうなお光を頂きまして、この世界を美しく照らし下さいまし、ありがたや、 かたじけなや。」と、拝む――ハーンの『日本瞥見記』、「神々の国の首都」の中 にこんなくだりがある。
ハーンを読んで、いたく心を動かされるのは、そこに描かれた明治の日本が、 貧しいけれど、おだやかで、美しく、あたたかい心に満ちあふれているからだ。 その後の日本がなしとげてきた近代化、とりわけこの二十年ほどの高度経済成 長が、たしかに物質的な豊かさをもたらしはしたが、ハーンが好意をもって記 述したことどもを、どこかに忘れてきてしまった。
ハーンを読むたびに、どちらが人間にとって幸せなのだろうか、という思い にかられるのだ。
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