民藝品店「銀座たくみ」の肘掛椅子2015/04/27 06:25

 銀座で思い出したのだが、2月の短信「陶芸を革新した銀行頭取」に川喜田 半泥子のことを書いた頃、どこかのBSの番組で「亀ちゃん」市川猿之助が、 暁星の後輩で近茶流の若旦那・柳原尚之と、銀座に名品を探って歩く「銀座名 品物語」を見た。 「東の魯山人 西の半泥子」北大路魯山人の作品は、縁が あって「黒田陶苑」に残っており、黒田店主の案内で行った、星ヶ岡茶寮の料 理長が独立した割烹「中嶋」で三代目に使われていた。 川喜田半泥子の方は、 てんぷらの「天一」に縁があって、店の名の陶板や粉を混ぜる器に残っていた。

 猿之助たちが初めに行ったのが、銀座8丁目の民藝品店「銀座たくみ」だっ た。 志賀直哉の甥という志賀直邦社長と話をした。 陶器に趣味のある猿之 助が、いくつかの器を手にして、ほかではこの値段ではとても買えないと言っ ていた。

 25日の短信1070号「イラストレーター、安西水丸さん」の『ちいさな城下 町』に「銀座たくみ」が出てきた。 水丸さんは新入社員の頃、「銀座たくみ」 で、鳥取の民芸家具、辰巳木工の肘掛椅子を見た瞬間に、心を奪われた。 ど うしても欲しくなり、新入社員のなけなしの金を叩いて、買った。 今でも愛 用していて、45年も使っているので、当然古くなっているが、その古くなり方 も気に入っているとある。 「銀座たくみ」は、私が最初に勤めた銀行の支店 に近かったので、よく覗いていたから、どういう店かは知っていた。 その銀 行支店の前が電通で、私は電通食堂に毎朝集金に行っていたが、9月に本店に 転勤になった。 水丸さんが電通に入るのは、翌年4月で、入れ違いではあっ たが、同じ界隈をうろうろしていたことになる。

 水丸さんは、その肘掛椅子によって、鳥取という土地に興味を持った。 「銀 座たくみ」は、鳥取の「たくみ工藝店」の成功を受けて、昭和8年に開店して いた。 鳥取の「たくみ工藝店」と民芸品は、吉田璋也(しょうや)という人 物と深い関わりがあるのだが、それはまた明日。