カトリック信者と靖国神社参拝 ― 2016/06/24 06:26
ケビン・M・ドークさんの本にある「カトリック信者の私が、なぜ、靖国神 社を参拝するのか?」にも、ふれておく。 帯では「靖国神社」となっている が、本文では「靖國神社」となっている。 ドークさんは、「靖國神社は戦争で 亡くなった霊を「神」として祀りますが、カトリック教会では「いい人」が死 ぬと聖人になります。神ではないけれど、聖人も信者が祈る対象です。その意 味で、靖國神社の英霊とカトリック教会の聖人はかなり並行していると思いま す。」とする。
ドークさんが靖國神社を考えるきっかけになったのは、1932(昭和7)年の 上智大学事件だという。 その年、上智大学の学生が軍隊の訓練で靖國神社の 参拝を命じられ、これを拒否した。 上智大学はイエズス会の大学だ。 靖國 神社参拝の強制が信教にかかわるかどうか、いろいろと議論がなされ、日本の 文部省とバチカンとの間でも話し合いが持たれた。 結局、足かけ4年くらい の交渉を経て、1936(昭和11)年5月26日にバチカンのプロパガンダ・フィ ーデ(布教聖省)が、「祖国に対するカトリック信者の責務についての訓令」と いうものを布告した。 その訓令によると、「日本のカトリック信者は靖國参拝 すべきだ」となっている。 その結論に至る経過は、広島にいたドイツ出身の ヨハネ・ロス司教が非常に深く「免罪」を研究したうえで、日本の憲法とバチ カンの教義も研究し、「参拝することが適切だ」という結論に至った。 そして ロス司教は上智大学のヘルマン・ホイヴェルス総長と話し合い、総長が日本の 文部大臣と会談する。 そのなかで、文部省が「参拝することに宗教的な意味 は入っていない。愛国忠君ということだけに意味がある」と保証した。 バチ カンはそれを受け止めて研究し、「カトリックの人たちは愛国忠君を尊重するは ずだ。それは自然徳だからである」ということで「参拝すべきだ」と認めたの だという。 戦後に宗教法で神道が一般の宗教に定義された以後の1951(昭和 26)年にも、バチカンは「祖国に対するカトリック信者の責務についての訓令」 を再布告したから、この布告は現在も有効性があるのだそうだ。
プロパガンダ・フィーデが教皇の権威の下で出した布告は正式のもので、日 本のカトリック教徒に留まらず、全世界のカトリック教徒に義務づけられる、 とドークさんは書く。 日本にいる司教たちのほとんどがこれを無視している けれど、ドークさんは日本人ではないけれど、日本に来たときは教皇の訓令に 従って靖國神社に参拝するのだそうだ。
「○天皇を尊敬したカトリック信者」は、田中耕太郎(1890(明治23)年 ~1974(昭和49)年)。 法学者、文部大臣、最高裁判所長官、国際司法裁判 所判事。 内村鑑三の門下生となって無教会主義キリスト教に入信したが、内 村に破門されてからカトリックに改宗したという。
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