夏目漱石最後の恋<等々力短信 第1090号 2016.12.25.>2016/12/25 06:27

 襖一枚へだてて、宮沢りえが寝ているのである。 悶々の夏目漱石(豊川悦 司)48歳、磯田多佳(宮沢りえ)36歳。 NHKドラマ『漱石悶々』「夏目漱 石最後の恋、京都祇園の二十九日間」を見た(脚本・藤本有紀、演出・源孝志)。  大正4(1915)年3月19日~4月16日。 祇園の茶屋「大友」の女将、多佳 は文芸芸妓として知られ、尾崎紅葉や谷崎潤一郎、吉井勇も馴染み客、以前は 浅井忠意匠の陶器を商う店「九雲堂」をやっていた。 姉のおさだは、大石忌 を催す「一力」(祇園万亭)の女将だ。

 漱石と多佳、津田青楓とその兄・西川一草亭の四人のいる座敷に、漱石ファ ンだという芸者の金之助(鈴木杏)と君が、賑やかに入って来る。 君の唄と 三味線で、金之助が「追分節」を踊る。 唄が自然で実に巧い、と思ったら君 は尾上紫(ゆかり)、尾上流家元の長女だそうだ。 その後、宮沢りえが「黒髪」 を色っぽく踊る。 「黒髪の結ぼうれたる思いには 溶けて寝た夜の枕とて ひ とり寝る夜の仇枕…」 踊りのことはわからないが、京舞指導・井上八千代と 出たから、かなりの稽古をしたのだろう。

 晴れたら北野天神へ梅見に行く約束をしていた多佳に電話をすると、宇治へ 遊びに行っていた。 その金持の客、加賀正太郎に座敷で山崎の別荘の命名を 頼まれ、仏国寺桃陽園で聞いた鳥の鳴き声「チンチラデンキ皿持てこ汁のまし ょ」ではどうかと言う。

 『漱石全集』第十五巻に、磯田多佳、金之助の梅垣きぬ、君の野村きみ、加 賀正太郎、津田青楓兄弟宛の書簡がある。 当時刊行した『硝子戸の中』(私は 最近まで「うち」を「なか」と読んでいた)を、皆にお礼に送っている。 多 佳宛「滞京中は色々御世話になりましたことにあなたの宅で寐てゐたのは甚だ 恐縮ですあゝいう商賣をしてゐる所で寐てゐられては嘸迷惑でしたらう」「一中 節や河東節は大變面白う御座いました是も木屋町へ偶然宿をとつた御蔭かも知 れません」。 きぬ宛「打ち明け話も感心して聴きましたゴリ押しをなさいゴリ 押しに限ります」。 多佳宛「あゝいふ無責任な事をすると決していゝむくひは 來ないものと思つてお出で。本がこないと云つておこるより僕の方がおこつて ゐると思ふのが順序ですよ。」「君の字はよみにくゝて困る。それに候文でいや に堅苦しくて變てこだ。御君さんや金ちやんのは言文一致だから大變心持よく よめます。御多佳さんも是から“サウドスエ”で手紙を御書きなさい。」 加賀 正太郎宛、山荘の名前を水明荘、冷々荘、竹外荘、三川荘、虚白山荘など14 も挙げている。

 机の下から重い『漱石全集』を出そうとして、ぎっくり腰になった。 漱石 はたった12年間で、あれだけの作品を書いた。 漱石より26年長く生き「小 人閑居日記」15年。 没後百年忌前日の句会で<スミレほど小さき吾や漱石忌 >と詠んだ。

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