役者の家の女の子2019/03/30 07:07

 関容子さんの『中村勘三郎楽屋ばなし』を読み始めたのは、『銀座百点』の3
月号で関容子さんの「銀座で逢ったひと」で「太地喜和子さん」の回を読んだ
からだった。 こんぴら歌舞伎にご一緒して、太地喜和子さんと十八代目中村
勘三郎の、なれそめのかわいい話を聞くことができ、それは『勘三郎伝説』に
詳しいとあった。 それで、十八代目を描いた『勘三郎伝説』を読もうと思っ
たが、その前に、まず『中村勘三郎楽屋ばなし』を手にしたのだった。

関容子さんの本は、昭和62年に『日本の鶯―堀口大學聞書き』(昭和56年・
角川書店)を読んで、その聞書きの見事なのに感心して、「等々力短信」に3
回にわたって書いていた。 (1)第427号 1987.5.25. 八十七歳の進歩/関
容子『日本の鶯―堀口大學聞書き』。 (2)第428号 1987.6.5. 堀口女子大學
/スペインでマリー・ローランサンの手ほどき受ける。 (3)第429号 
1987.6.15. 親友詩人/堀口大學と佐藤春夫、友に逝かるる友の嘆きを。

 『銀座百点』の「太地喜和子さん」には、最近、寺島しのぶさんから喜和子
さんのこまやかな心くばりがわかる話を聞いたことが紹介されている。 ある
時、菊五郎さんのお宅で、しのぶさんと二人きりになる時間があった。 喜和
子さんが突然、「ねえ、あなた、どうしてそんな寂しそうな顔してるの?」と、
言った。 歌舞伎役者の家庭に生まれた女の子は、どうしても仲間はずれにな
る。 弟の菊之助中心に寺島家の時間が回っているような気さえする。 喜和
子さんは一瞬でその寂しさを感じ取って、だったらひがんでないで、あなたも
役者になれば? と言ったのだった。 しのぶさんはそれがきっかけで、喜和
子さんに由縁の文学座の門を叩く。

 しのぶさんは、平成29年「六本木歌舞伎」『座頭市』で、初めて歌舞伎と名
のつく舞台を踏んだことが、とてもうれしかったそうだ。 海老蔵さんのこと
をいきなり本名(寶世・たかとし)の「タカちゃん」と語り始める。
「タカちゃんがね、これまでやれなくて口惜しかったことをこの際全部やった
ら? 早替り? それから立廻り? うん、いいよ、って、優しいの。あの人、
弟と同年輩だから、子ども同士で遊んだころは、私はお姉さんでしたしね。
それで思ったのは、将来、もしタカちゃんの娘の麗禾(れいか)ちゃんが私
と同じような気持ちでいることがあったら、私が今度は喜和子さんの立場に立
ってなにか言ってあげなくちゃ、ということでした」
関容子さんは、「喜和子さんはここにもちゃんと生きている、という気がし
た。」と書いている。

 『中村勘三郎楽屋ばなし』にも、「役者の家の女の子と、芸者の家の男の子に
はなるもんじゃない」って、よく言うけど、これ本当でね、という話が出てく
る。 十七代目の姉、つまり歌六の娘に、おきよ、お葉の二人がいた。 粗末
に扱っているわけじゃないんだろうけど、どうしても役に立ってないみたいな
気に自分でなるのか、ひがんじゃうことが多いのだという。 お葉姉さんもそ
の口で、不幸な一生だったという。 カフェーの女給やらお妾やら、それから
一時髪をおろして尼さんになって、また髪を伸ばして芸者に出たり、そして最
後は毒をあおって亡くなった。 つまり男運が悪かった。 優しい人だったの
にね、と十七代目は語っている。