気骨の人の明快な決断2019/06/19 07:21

 松永安左エ門が亡くなった時に、老欅荘の床の間に架けられた絵や、記念館 本館に展示してあった遺言についても、等々力短信に書いていたので、引いて おく。

             気骨の人の明快な決断

       等々力短信 第1057号 2014(平成26)年3月25日

 3月の「夏潮」渋谷句会の兼題は「春の川」と「涅槃(ねはん)」だった。 私 は当番で「涅槃」の季題について調べて、報告をした。 「涅槃」とは、釈迦 の入滅(死)のことだ。 その日、陰暦二月十五日には、各寺院では寝釈迦を とりまいて弟子、天竜、鬼畜などの慟哭するさまを描いた涅槃図を掲げ、遺教 教(ゆいきょうぎょう)を読誦(どくじゅ)して涅槃会(え)を営む。 私は 京都東山の皇室の菩提所、泉涌寺の二つの涅槃図を使って説明した。 その一 つ室町時代の絵では、摩耶夫人(まやぶにん)が雲に乗って忉利天(とうりて ん)から駆け付けて来る。 生母のために釈尊は金色の身を現し説法をしたと いうのだ。 その様子を描いた絵を思い出した。

 2009(平成21)年の「未来をひらく 福澤諭吉展」で見た松永安左ェ門(耳 庵)旧蔵の国宝「釈迦金棺出現図」である。 松永は、この絵を五千万円(今 の十億円か)で入手したといわれるが、その辺の事情を、昔読んだ白崎秀雄著 『耳庵 松永安左ェ門』(新潮社)で確かめてみた。 松永はこの絵を最晩年に 執念を燃やして購入し、愛してやまなかった。 没後、棺が安置された小田原 の松永記念館の床にも掛けられていた。

 松永は、その遺言に「財産はセガレ及び遺族に一切くれてはいかぬ。彼らが ダラクするだけです。」と書いた。 だが「釈迦金棺出現図」は松永個人の所有 で、没後は当然、養嗣子安太郎の所有になる。 当時でも数億といわれたこの 超国宝を昭和55(1980)年松永記念館解散直後、安太郎は独自の英断によっ て、文化庁つまり国に完全無償で寄贈した。 白崎秀雄さんは、この惜しげも ない寄贈は、壮挙とも快挙ともいうべきもので、今日まで一行も報道されたこ とがないのは奇妙という他ない、と書く。 文化庁はこの絵を京都国立博物館 の蔵品とした。 明治40年頃から寄託されていた古巣だ。

 戦後、松永安左ェ門が大戦争の敗北で危惧していた、苛酷な悲劇と混乱は、 ほとんど奇跡的に避けられた。 その理由を考えて、「天皇、皇室のおかげ」と 認識した。 そして今の百億円ともいわれる所蔵の美術品・茶道具や柳瀬山荘 を、自分の楽しみのために利すべきものではない、お国にお返しすべきものと 考え、国立博物館に寄贈してしまった。 また東邦産業研究所の五万坪に及ぶ 土地も、生涯の恩師と仰ぐ福沢先生の慶應義塾に寄付した。 これが後に私の 学んだ慶應義塾志木高等学校となるのである。

 昔、私は「鬼のおかげ」という一文を書いた。 「電力の鬼」と呼ばれた松 永がもし健在なら、東京電力福島原発の事故では、即座に乗り込んで陣頭指揮 を執っただろうし、昭和11年政府の電力国営化論を先頭に立って反対し、戦 後電力事業の分割民営化を主導した松永は、どんな電力体制を構想したかと思 うのだ。

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