<自由>と<民間>、鷲田清一さんの「山崎正和さんを悼む」2020/09/26 06:58

 『折々のことば』の哲学者・鷲田清一さんが、朝日新聞に寄稿した「山崎正和さんを悼む」(8月23日朝刊)が、素晴らしくて、勉強になった。 きちんと理解できたかは、別にして…。

 主見出しは「逆説で語り続けた<自由>」。 「山崎さんは最後まで<自由>を尊ぶ人だった。ここで<自由>とは囚(とら)われのなさということであり、軍隊のそれであれ社会の「空気」であれ、あらゆる強制への抵抗でもあったのだが、しかしその語り口は二重、三重に屈曲していた。<自由>を理想として語りだすのではなく、<自由>を護るには何よりもそれを制約するものを見届けておかなければならないという思いからだろう。/文明を論じても、政治や芸術や教育を論じても、山崎さんの議論はつねにある<逆説>に収斂してゆく。その逆説とは、『演技する精神』以降、山崎さんがずっとこだわり続けたテーマ「リズム」を例にいえば、こういうものだ――「拍子を刻むのは醒めた理性的な行為であるが、それを正確に刻めば刻むほど、つまり意識が醒めれば醒めるほど、逆にリズムによって陶酔させられるという逆説」(『文明の構図』)。いいかえると、何ごともそれが極まる瞬間にその反対物に転化すること。このような反転が悲劇的な結末を迎えるすんでのところで、それを「文化」へと変換させる、その知恵を読みとることが、文明批評の軸としてあった。」

 敗戦直後の旧満州で、中学に入学したての山崎さんは、軍隊とともに教員も去った、零下20度の仮設の教室で、教員免許をもたない技術者や大学教授らが担った授業を受けた。 マルティン・ルターの伝記をひたすら読み聞かせたり、(漢文でなく)中国語を教えたり、古びた蓄音機でラヴェルやドヴォルザークを聴かせたり。 「なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分ひとりの権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった」(『文明の構図』)。 この「死にもの狂いの動機」「文化に対する疼(うず)くような熱情」こそ、現代の日本の教育に欠けているものだろうというのである。

 「山崎さんは公教育は最低限に約(つづ)め、学齢制や指導要領のない私学校を、教えたい人が社会の支援を得て作ったほうがいいという考えだった。官製ではなく、民間という、文字どおり民の間で事をなすことにこだわり続けた。サントリー文化財団で若手研究者の顕彰・支援や地域文化の発掘に尽くしたのも、この国の文化が破局的にならずしかと持ちこたえる、そのための下支えだった。」  縦の見出しは、「民による文化の下支え 劇作家の矜持」だった。