隅田川に橋を架けた会社2021/01/25 07:10

「等々力短信」1139号「半藤一利さんの戦争と平和」に、大正末期から昭和の初めに隅田川に架けられた橋について書いた。 IHI、(前)石川島播磨重工業OBの友人から、隅田川の橋は地の利のある石川島造船所のものが多いと思うというメールをもらった。 IHIは、「最近ではトルコの斜張橋(ボスポラス橋など)などの海外実績も多くあり、橋梁部隊はたぶん日本一(又は世界トップクラス)ではないでしょうか」という。

調べてみると、なるほど半藤一利さんが話していた「浦賀船渠や三菱重工」はなかった。 大正15年12月の永代橋から、昭和7年11月の両国橋まで、関東大震災復興事業で架橋された内、昭和2年11月の蔵前橋、昭和2年12月の千住大橋、昭和7年11月の両国橋の施工は石川島造船所だった(両国橋だけは、間組が関与)。

 昭和2年6月の駒形橋は汽車製造、昭和3年2月の言問橋は横河橋梁製作所、昭和3年3月の清洲橋は神戸川崎造船所、昭和4年9月の厩橋は浅野造船所、昭和6年6月の吾妻橋は錢高組、昭和6年8月の白髭橋は川崎造船所、大正15年12月の永代橋は橋脚製作が神戸川崎造船所、施工が太丸組と間組だった。

なお、後の昭和15年6月の勝鬨橋は、幻となった月島地区で開催予定の皇紀2600年記念日本万国博覧会のために架けられ、月島側アーチ橋が石川島造船所、築地側アーチ橋が横河橋梁製作所、下部橋脚が錢高組、下部鉄骨製作が宮地鉄工所だった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック