名もなき小さきものの視点で<等々力短信 第1163号 2023(令和5).1.25.>2023/01/23 07:05

 渡辺京二さんが12月25日に亡くなったのを、うっかりしていて1月12日の田中優子さんの朝日新聞の追悼文で知った。 著書『逝きし世の面影』が、じわじわと評判になって、読んでみたいと思いながら、読んでいなかった。 江戸から明治の時代には、ずっと関心がある。 田中優子さんは、この本で渡辺さんが江戸時代を「江戸文明」と言い切り、そこに浮上したのは、知的好奇心に溢(あふ)れ、笑いを絶やさない日本人の姿、「笑顔」の群像であり、それを生み出した時代の価値観であった、とした。

 10月8日朝日新聞読書欄の「著者に会いたい」は、昨年7月『小さきものの近代 1』(弦書房)を刊行した渡辺京二さんだった。 92歳の渡辺さんは、幕末明治にまつわる文献の山と格闘しながら、週に原稿用紙6枚のペースで執筆を続け、「読めば読むほど、読むべき資料が増えていく。楽しい晩年のはずが、なぜこんなにしんどいことを続けているのでしょうね」と。 明治国家をつくったエリートではなく、名もなき人びとが残した日記や書簡などをなるべく選んでひもとく。 望むと望まずとにかかわらず、新しい世の中に適応せざるをえなかった「小さきもの」の視点から、もう一つの近代日本を描き出す狙いだ。 東京で編集者をしていた若い頃、詩人で思想家の吉本隆明を慕って、通いつめ、人は育って結婚し子供を育て死ぬだけでよい、そういう平凡な存在がすべての価値の基準だと教わった。 「小さきもの」へのまなざしの原点である。

 渡辺京二さんは、地方文芸誌編集者として出会った石牟礼道子さんを半世紀にわたって支えた。 石牟礼道子さんは、平凡な主婦だったが、しだいに姿をあらわにしてくる水俣病への関心を深め、詩人・谷川雁のサークル村にも加わりつつ、『苦海浄土―わが水俣病』(1969)で方言を駆使した語り体で、表現をもたない患者の代弁者として水俣病を描き切った。 その視線は日本近代の全体への批判にまで及び、高速化する近代に失われた風土の魂を救出する道を模索する。 田中優子さんは、渡辺さんが『黒船前夜』での大佛次郎賞受賞講演で、「人間は土地に結びついている。土地に印をつけている存在である。死んだ人間の想いとつながっている」と語ったのを、石牟礼さんと渡辺さんが共有している価値観だという。 渡辺さんはまた、「日本の近代化は人々の生活をもう少し合理的なものに、もう少し豊かなものにしたいと思ってやったものではなかった……西洋から学びたかったのは軍事力と産業力、中央集権国家だけ」とも話したという。

『小さきものの近代』は、明治末の大逆事件が終着点の予定だった。 明治十年戦争(西南戦争)まで原稿を書き終え、「生きてあと1年か2年か。さあ、どこまでいけるでしょう」と、「著者に会いたい」で答えていたそうだったのだが…。

コメント

_ 轟亭 ― 2023/01/28 07:06

28日に、原武史大学院生の会った渡辺京二さんと石牟礼道子さん<小人閑居日記 2023.1.28.>を書きました。

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