蓄音器とレコードを知らない子供達へ ― 2023/10/19 07:11
泉鏡花記念館の学芸員、穴倉玉日さんが、館長がお待ちかねですのでと積もる話を切り上げて、お隣の金沢蓄音器館へ。 八日市屋典之館長は、法学部政治学科卒の塾員、熱心に蓄音器やレコードの歴史を解説し、大きなラッパ形から出る、その懐かしくも暖かい音色を、色々と実際に聴かせてくれた。 金沢蓄音器館は、市内で長年レコード店を営んできた故八日市屋浩志氏が蒐集してきた蓄音器540台、SPレコード約2万枚の「山蓄コレクション」を基に、2001(平成13)年7月に開館した。 評判が伝わり、その後も全国から蓄音器やさらに約1万枚を超すSPレコードが寄贈され続け、それらを手入れして、実際に耳で聞いてもらえるように公開している。
1877(明治10)年、トーマス・エジソン(米)がフォノグラフ(銀箔式蓄音器)を発明、1887(明治20)年、エジソンはフォノグラフを改良、蝋だけの蝋管(円筒)に録音する方法を開発する(この蝋管(円筒)式の音を実際に聞かせてもらった)。 同じ1887(明治20)年、エミール・ベルリナー(米)が、グラモフォン(平円盤式蓄音器)を発明、1894(明治27)年、ベルリナーは平円盤式レコード(材料はエボナイト)のプレス作業に成功する。 ベルリナーの平円盤式レコードは溝が横に刻まれていたのに対し、エジソンは縦に溝を刻んだ平円盤式レコードをつくった。 縦溝のエジソンのレコードは、部厚になったため、ベルリナーのレコードが普及したのだそうだ。 日本で最初に平円盤式レコード(10インチ片面盤)と蓄音器の製造を開始したのは、日米蓄音器製造(株)で、1909(明治42)年のことだった。 ベルリナーの成功から、15年しか経っていない。
日本での最初のレコードが1909(明治42)年ということで、1901(明治34)年に亡くなった福沢諭吉の声は、残念ながらレコードに記録されていない。 1910(明治43)年、日本フォノグラム(日本コロンビアの前身)の出したレコードで、乃木希典大将の偕行社での声や、帝国議会での大隈重信の演説を聴く。 この後、その墓を訪れることになっていた折口信夫、釈迢空が1941(昭和16)年に和歌を朗詠した高い声も聴くことができた。
八日市屋典之館長が、われわれ福澤諭吉協会一行に、ぜひ聞かせたいと用意して下さっていたのは、1904(明治37)年に制定された旧慶應義塾塾歌のレコードだった。 角田勤一郎作詞、金須嘉之進作曲。 鉄道唱歌のようなメロディーの、まったく聞いたことのない歌だった。 歌詞の一番は、「天にあふるる文明の 潮東瀛(しおとうえい)によする時/血雨腥風(けつうせいふう)雲くらく 國民の夢迷ふ世に/平和の光まばゆしと 呼ぶや眞理の朝ぼらけ/新日本の建設に 人材植ゑし人や誰」
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