「ボール表紙本」、福沢の女性論を批判2024/03/29 07:07

林望さんは、明治20年を中心に前後7、8年に出版された、「ボール表紙本」を多数蒐集しているそうだ。 和装本から洋装本にきりかわっていく過渡的な本の形で、内容は、林望さんの話した評論や自由民権運動などの演説本から、実録小説、人情小説などの通俗本、伝記、翻訳本などまで、いろいろあったようだ。

林望さんが例に挙げた、福沢の『日本婦人論』『男女交際論』などの女性論を批判する「ボール表紙本」。

〇丹霊源『国母論』(明治25年・和合社)。 「近来或る論者が専ら女子教育を説くに男女交際をせざるべからざることを主張すれ共、余輩は到底之に服する能はず(中略)余輩は是に於てか云ふ女子教育は専ら有用なる婦女を出す様に為さざるべからず。有用とは他なし、能く夫に事へ能く其子女を教育し能く家政を調理せば女子の業務は足れりと断言すべし」

〇骨皮道人笑閲、頑々居士戯著『頑固理屈 女権の反對』(明治19年・東京共隆社刊) 「扨(さて)貞とは、心を正敷(ただしく)して品行(みもち)を慎み、我亭主を敬ひ、真実を以て丁寧に仕(つか)へ、我亭主の為には身躰(からだ)も命も惜まず、其身を亭主に打まかせて、只一筋に亭主を大切に思ひ、我亭主の外に仮(たと)ひ業平・丹次郎・時次郎・伊左衛門の様な美男子があらうとも決して之を省(かえり)みず、又た我亭主が何様(どん)な馬鹿でも怪面(ひょっとこ)でも野呂間でも東変朴でも御短珍でも屁固助でも出額助(でこすけ)でも、少しもあなどらず、尻の下に敷ず、能く心を尽くして之をもりたて、万(よろず)何事でも亭主の心附(づか)ない事は気をつけ、縦(たと)ひ自分の腹から考へ出した事でも、場合によつては亭主の腹から出た様に取りなして、亭主の行届かない処をおぎなひ助くるを道とし、亭主が荒ッぽい性質(たち)の男で、此畜生と云ふが早いか、直(すぐ)に拳固が頭へ飛で来る様な乱暴でも、必らず其心に背かず、縦(たと)ひ何様(どん)な目に逢はうとも決して腹を立ず、ドウかして亭主の心柄(こころがら)を直し度(たい)ものだと夫(それ)ばかりに心を尽し、行ひの悪ひ事があれば、親あるひは子供などの身の上を引合に出して是々では私(わたく)しが誠に心苦しいとか世間へ対しても私しの顔が出せませんとか何とか、其処を旨く亭主の癪に障らない様に亭主の機嫌の宜時(よいとき)を見計らつて、意見を加へ、兎にも角にも亭主の気に背かない様に大事にかけて思ふのを貞と云ふのである。」

〇望月誠(長野県士族)『女房の心得』(明治11年・思誠堂)

〇痩々亭骨皮道人著『滑稽教育演説』(明治23年)

〇羽成恵造編輯『(文明実地)演説討論集』(明治21年2月・大阪安井兵助刊)

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