世阿弥の佐渡配流 ― 2006/03/15 07:02
世阿弥で思い出したことがある。 すっかりNHK学園状態だが、『知るを楽 しむ』“なんでも好奇心。”の12月が、瀬戸内寂聴さんの「世阿弥の佐渡を歩 く」だった。 寂聴さんは、最後の長編小説になるかもしれない作品のテーマ に、72歳で突然、佐渡に流罪になった世阿弥を選んだ。
世阿弥、観世元清(1363?-1443?)は大和猿楽結崎(ゆうざき)座の二代目、12 歳で時の将軍足利義満の稚児となり、その寵愛を受けた。 30歳の頃に絶頂期 を迎え、鑑賞眼の高い足利義時の意にかなうよう、能を静かで美しい優雅なも のに洗練し、舞台芸術に大成した。 「風姿花伝」「花鏡」ほか多くの著作を残 し、夢幻能形式を完成、「老松」「高砂」「清経」「実盛」「井筒」「砧」など多く の能をつくり、詩劇を創造した。 しかし、武家社会の復興をめざす義教が六 代将軍に就く。 悪将軍と呼ばれた義教は、勇壮で猛々しい鬼の登場する大衆 受けする能を好み(それは世阿弥の幽玄とは対極の能)、世阿弥の甥・音阿弥を 贔屓にした。 世阿弥の後継者元雅が客死する(足利家家臣による暗殺説もあ る)不幸もあり、老境にあった1634年5月、突然、佐渡配流となる。
当時、佐渡に流されるのは、時の権力者に反抗した人々であった。 世阿弥 は、権力によって栄誉を受け、権力によって潰された。 世阿弥が、佐渡で死 んだか、生きて帰ってきたかは、定かではない。 生と死、夢と現実をおりま ぜながら、人間の悲劇を描く芸術・能を確立した天才が、晩年になって流され た佐渡で、孤独と向き合って何を思ったか、打ちのめされたプライドをどうし たか。 世阿弥ほどの人物が、何も得なかったはずはないと、寂聴さんは考え る。
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