池井優さんの「復活!名講義」 ― 2006/03/20 07:04
18日、大リーグの解説などでおなじみの池井優法学部名誉教授の講義を三田 に聴きに行った。 2008年に創立150年を迎える記念事業の一つ「復活!慶 應義塾の名講義」という企画である。 大教室がほぼ一杯になる盛会だった。 「戦後日本外交の展開とスポーツ」と題し、外交に果すスポーツの役割という 総論にはじまり、占領下の日本スポーツ、冷戦下、そして冷戦後の日本外交と スポーツの話だった。 池井さんは、放送研究会、落語研究会にも関係してい たようで、軽妙洒脱な語り口、特に本人の声色もどきの会話の部分が、なんと もうまい。 扱った時代が、私の子供の頃から、学生時代までがメインで、ど れもこれも知っている、自分史に重なる同時代史だったから、うなずくことば かりだった。 その上に、国際政治の背景というスパイスが効かせてあったの で、表面的に知っていた現象の、裏側を覗くことができた。
池井さんは、確か兄と同期だから、五つ上、まあほぼ同時代で、野球をやっ た話などが懐かしい。 占領の初期、徹底した非軍国主義化をはかったGHQ が武道を弾圧する一方、外来スポーツを奨励した。 軟式野球用ボールに使う ゴムの優先配給をして、例の長瀬の健康ボールが出回った。 ゴムの質が悪く、 打つと二つに割れて、どっちを取ったらアウトか、もめたりしたという。 1949 年10月のサンフランシスコ・シールズの来日も一大事件、アメリカ本国には 負かした対戦国と試合するのに反対意見もあったのを、GHQのマーカット少 将、キャピー原田氏の尽力で実現、占領下初めての日の丸・君が代となった。 影響を受けて、池井さん達も野球をする時、シールズのSを取って「今日はS 式で行こうぜ」というのは、全力疾走だった、そうだ。
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