「夢」=「将来の希望」の初出2006/03/08 08:01

 ありがたいことに毎日、asahi-netの私のフォーラムの方に、適切で博識の コメントをつけてくれる“やまもも”さんが、5日の「天狗裁き」の「夢」の 話に関連して、つぎのように書いてくれた。 現代日本語には、もう一つの「ゆめ」がある。「将来の希望」、である。 この用法、意外と、新しいようだ。『日本国語大辞典』(第2版)では、 この意味での初出は、木下杢太郎(1914年)。このたび出た、3巻 本の精選版でも、同様。

 1914年といえば、大正3年だ。 明治の人を探せ。 こういう時、私がまず 考えるのは、ご存知、福沢諭吉。 網羅的な「語句・事項」索引がないのが難 点だが…。 『福翁自伝』の最後に、これからやりたい三ヶ条というのがあっ たのを思い出す。 本文にあたると「生涯のうちにでかしてみたいと思うとこ ろは」となっていた。 残念。 似た意味で「願(がん)に掛けていたその願が、 (中略)第二の大願成就」の「願」というのもある。 その少し前に、「回顧すれ ば六十何年、人生既往を思えば恍として夢の如しとは毎度聞くところではある が、わたしの夢は至極変化の多いにぎやかな夢でした」「(『西洋事情』などは) 一口に申せば西洋の小説、夢物語の戯作くらいにみずから認めていたものが、 世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情のたぐいでは ない」というのもある。 この「夢」も「夢物語」も「寝て見る夢」だけれど、 「将来の希望」に近い気がするのは、贔屓目だろうか。   そこで詳細な「語句・事項」索引のある夏目漱石、こんなのは『日本国語大 辞典』の編者は当然見ているだろうけれども、念のため。 すると、「夢と現實」 「夢を抱く人」が『虞美人草』にあるというではないか。 『虞美人草』は、 明治40(1907)年の作品だ。 面白くなってきたぞ。