福沢諭吉におけるパラドックス2006/03/27 07:30

 横松宗さんに『福沢諭吉 その発想のパラドックス』(梓書院・2004年)とい う福沢に関する二冊目の本がある。 相良照博さんから頂いた。 内容は、「中 津留別の書」を読む、「中津留別の書」の意義、福沢諭吉を育てた人脈と福沢諭 吉が育てた人脈、中津藩の蘭学と福沢諭吉、福沢諭吉におけるパラドックス、 西郷に殉じた草莽の志士-増田宋太郎、福沢諭吉・西郷隆盛・増田宋太郎、旧 里における福沢諭吉、福沢諭吉と近代中国の指導者・魯迅、「日本の酪農の父」 宇都宮仙太郎、となっている。

 一番興味深いのは、表題にもなっている「福沢諭吉におけるパラドックス」 とは、何かということだ。 『福翁自伝』に中津につばを吐きかけて出て行っ たとあるが、福沢は郷里中津を愛するが故に、そうしたのだと、横松さんは考 える。 愛というものは、主観的に惑溺してしまうのでなく、外から客観的に 見るということ、いうなれば批判すること、矛盾を知ることでなくてはならな い、と思うからだ。 中津における身分制度や、人間関係の中に埋没すること なく、それを外から見ること、あるいは、人間本来のあり方から見ることに、 横松さんは福沢の本当の郷土愛を見る。 それを、郷土愛の一つのパラドック スというのだ。

 中津奥平藩は、藩全体の気風がきわめて保守的で、江戸時代封建制の典型の ようなところだった。 そういう中津だからこそ、福沢のような進歩的な偉人 が出た、その環境に触発されて、本当の意味における個人の自覚とか独立自尊 とかいう精神をむしろ自分で発想することができたのではないか。 ここにも 福沢におけるパラドックスがあると、横松さんは指摘している。