オドール監督、そして「水泳の人」2006/03/24 08:12

 2004年10月25日、「等々力短信」第944号に「もつれ足」と題して、ゲー リー・クーパーがルー・ゲーリックを演じた『打撃王』という映画の話を書い た。 その中に、『打撃王』の日本での封切は、昭和24(1949)年のことだから、 私は小学校の1年生か2年生で、それを観たこと、その年の秋、オドール監督 ひきいるサンフランシスコ・シールズが来日し、その試合も後楽園球場で観た ことを、書いた。

すると、学生時代にクラブで一緒だったガールフレンドからメールが来た。  小学校1か2年の時、当時お稽古していた仕舞いを、多分オドール監督の前で 舞ったことがある、というのだ。 外人と写っている写真があるのだけれど、 記録がなくオドール監督という名前と、大人たちが大騒ぎしていた記憶が頭の 片隅にある。 ただ服装が夏服なので、もしかしたら違うかもしれない。 今 までオドール監督というのが誰だかわからなかったのだが、短信を見て写真の 年齢とも合うので、もしかしたらと思っている。 長年この写真の外人は誰か と思っていたのだけれど、ひょんなことでわかったような気がしている、とい うのだった。

オドール監督の前で「オドール」とは、素晴しい体験である。 さっそく、 私はオドール監督の写真を探して、見てもらった。 すると、その前で踊った という外人の写真は、オドール監督とは少しちがうようで、金髪だし、監督の ほうが柔和な顔のようだ、という。 謎が深まったが、少し調べてみる、なぜ か「水泳の人」との記憶もあるので…、という一言に、私の古い記憶が蘇った。  キッパス監督、昭和25(1950)年の日米対抗にコンノ、マックレーンらをひきい て来日したアメリカチームの監督だ。 写真の人は、キッパス監督だった。

池井優さんは、18日の講義で、古橋広之進が世界最高記録を出した時、アメ リカ水泳連盟のロバート・キッパスが「日本水泳界の復活おめでとう」という 電報を打ってきて、それが1949年8月の全米選手権大会への参加につながっ た、と話した。