古橋広之進さんへの父の手紙2006/03/22 07:03

 古橋広之進さんは、昭和60(1985)年12月2日から31日まで日本経済新聞に、 「力泳五十年」と題する「私の履歴書」を連載した。 私は当時、和綴の製本 に凝っていて、その連載をコピーして二部つくり、一部を父に、一部は父から 古橋さんに送ってもらった。 その時に添えた父の手紙の写しと、古橋さんの 返信が残っている。 昨日書いた時期の、一証言ともなると思われるので、以 下に父の手紙を引く。

 古橋広之進様

冠省

私の履歴書を拝見し、古い想出が蘇りました。

私は馬場アンプルの親方でして、当時太田喜八郎さんのお向ひに居りました。

床屋さんの佐々木親娘の献身的な奉仕に感じ入りまして、町内の有志達と和水 会を結成し、選手諸君と御つきあいを始めました。

インタカレッヂ行きのトラックは私が運転して、合宿から外苑プール迄参りま した。

当日村上監督を始め橋爪、浜口、真木、丸山其他の人々は、試合前夜で眠れな かったらしいのに、貴君は高いびきで、起されてからようやくドテラを羽織っ てネボケまなこで乗り込んできました。

あの豪胆さが後の偉業につながったのだと、つくづく思い出します。

延山小学校のプール開きに花を添えて頂いた事。

文春に書かれた武蔵小山の和可奈(可奈、原文は変体仮名)寿司を驚ろかせた事。

丸の内の壮行会。

ロスの和田さんのお話。

帰朝されて、生れ変った様にパリットした青年紳士が会社の玄関に立たれた時 は、目のさめる様な光景でした。 お土産に頂いたパーカーの万年筆も忘れません。

毎日楽しく新聞を拝見しました。

プリントして製本したのは当時小学生だった次男の紘二です。 この様なこと が好きで、表紙はプールの水の色を表した様です。

ご笑覧頂ければ光栄です。

    一月八日

                                     馬場忠三郎