自由に生きる楽しさと厳しさ ― 2006/03/18 07:05
細川護煕さんが総理大臣になった時、世の中が、日本が変わりそうな、わく わくする感じがあった。 だから9か月後の1994年4月、突然の辞意表明で、 政権を放り出した時は、がっかりした。 細川護煕さんは「白洲正子・目利き の肖像」(『知るを楽しむ』“私のこだわり人物伝。”)の西行についての話の中 で、放り出した、わがままといわれるけれど、辞めようと思ったら、いたたま れない気持になった、自由に、自分の気持に素直に生きるために、自分だけで 決めた、と話していた。 いま、細川さんは湯河原に閑居して、晴耕雨読とい うか、ヤキモノをひねり、本を読み、畑を耕す生活をしている。 新聞は取っ ていないし、テレビも見ない、自然を相手のくらし。 「閑」の字で、門の中 の木は、カンヌキを意味するのだそうだ。 俗世間とは一線を画す、とはいっ ても、さまざまなしがらみから抜け出すのはむずかしい。 現に身内の葬式に 行かないのは大変だし、孤独に耐えるということもある。
白洲正子さんは、1988年の『西行』で、平安末期の乱世に裕福な家に生まれ、 家族も身分もすべてを捨てて出家して、歌に生きる生涯を送った西行を、偉大 なる自由人、ただ自由に生きたいために出家したのではないか、と書いた。 西 行は、自分を律するに厳しく、仏を一体つくるつもりで、歌を一首詠んだ。 一 人居の寂しさを愛した。 人間は孤独に徹した時、はじめて物が見えてくる、 人を愛することができる。 西行の孤独に徹したすさまじい生き方に憧れた白 洲さん自身、自由に生きる楽しさと、その裏の厳しさを知りつつ、最晩年まで 仕事を続けた、と細川護煕さんはいう。
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