落語と俳句に通じるもの ― 2007/02/22 07:03
19日の朝日新聞夕刊芸能面で、柳家さん喬が昨日発売の「品川心中」上下通 し口演のCDについて語っていた(米原範彦記者)。 今年芸歴40年を迎えた そうだが、前半と後半では、了見が大きく変わった。 「前半20年は、どう 聞かせ、どう既存の噺を変え、どう評価されるかが気になった」「『なんで分か ってくれないの』と、あろうことか、お客さんに不満をぶつけていた時期もあ った」 打って変って後半は「噺と正面から向き合うようになって、お客さんに向け て、どう送り出せばいいのかを考えるようになって」「自分が見る落語の景色と、 お客さんのは違うし、噺家自身と登場人物は全く異なる」 そこで、やたらと 描き込むのをやめてみた。 「描き過ぎると、お客さんと噺家がぼんやり共有 できそうな映像を壊してしまう。お客さんに『良い景色が見えた』と言われる ようにもなった」
なんと俳句の極意に似ていることか。 本井英先生が口を酸っぱくして説く、 説明し過ぎるな、というのと同じだ。 作り手はクス玉の半分をつくればいい、 すると読み手がクス玉の半分を合わせる。 全部つくってしまうと、読む人は 面白くない。 説明のし過ぎは、すでに玉、球形になってしまっている。 作 り手は、半分をしっかりつくればいいという、あれだ。 さん喬のインタビューによって、落語と俳句の共通点に気づかせられ、ちょ っと愉快だった。
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