湊邦彦君を悼む<等々力短信 第1011号 2010.5.25.>2010/05/25 05:12

 4月30日、神戸在住の友人、湊邦彦君が亡くなった。 慶應志木高校で机 を並べて以来だから、その付き合いは五十年を超す。 かなり晩く結婚した彼 からは毎年、家族の写真と近況の入った年賀状が来て、正月の楽しみの一つで あった。 「情熱神頼」と題した今年のそれは、「神」の字と、正月3日湊川 神社に初詣している彼のブルゾン、石川県の医大生になったという彼より長身 のご長男の靴の、赤い色が印象的だった。 「新しい年がスタートしました。 一昨年来、闘病の日々を過ごし、みなさまにはご心配をおかけしてきましたが、 たくさんの励ましやご支援のおかげで、また、新しい年を迎えることができま した。食道から転移したがん細胞は、頚・胸部を猛々しく攻め立てていますが、 国立がんセンターでの放射線治療、大阪医科大学病院での化学療法、そして和 歌山県立医科大学でのペプチドワクチン・自己免疫療法など最先端の医療を総 動員し、まさに「人事を尽す」日々を楽しませていただいています」とある。

 6尺5分(183cm)で、6尺1寸ではないと言う長身だった。 仲間と並ん でいる写真を見ると、首一つ出ている。 みんなとは見えている世界が違うか ら、世界観が違うと称していた。 高校生の頃から、明るく、行動的で、世事 にも強く、引っ込み思案な私を、よく旅行などに引っ張り出してくれた。 性 格は違うが、気が合う所があったのは、お互いに自分にない部分を尊重してい たからだろう。 アメ横で安く仕入れた食料品、テントや寝袋を背負って、南 紀、小豆島から四国、富士山、東北の各地を歩いたのは、貴重な経験であり、 思い出である。 岩手の山地、当時何等僻地とか言われていた分校には、児童 書や絵の道具などを担いで行った。 彼がそこの人々との交流をずっと続けて いたことを、最近になって知った。 青年の心を持ち続けていたのだ。

 就職した会社をさっさと辞めて、関西で今ならNPOと呼ぶような地域の活 動を始めた。 同じ戦後民主主義教育の子だから、ベ平連にも関係していたよ うだが、その辺はよくわからない。 その内に、企業のPR雑誌などを編集す る会社を立ち上げて、順調な経営を続け、幸せなご家庭を築いてきた。 学生 時代からやっていたヨットで、ごく最近まで、瀬戸内海はもとより九州あたり のクルージングを楽しんでいた。

 昨年7月4日の「等々力短信」千号の会には、神戸から重篤な病状を押して、 にこやかにやって来てくれたのだった。

  丈高き漢(おとこ)の目路に夏の潮

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