西澤直子さんの「福澤諭吉の女性論」 ― 2011/04/01 06:56
西澤直子さんの「福澤諭吉の女性論」については、福澤諭吉協会の2005年 度読書会が西澤さんを講師に「福澤諭吉の「女性論」「家族論」」をテーマとし て開かれて、この日記でも詳しく紹介し、『福澤手帖』第127号(2005(平成 17)年12月)にも参加記を書かせてもらった。
福沢はごく初期の明治3(1870)年11月の『中津留別之書』から、明治32 (1899)年の最後の著作である『女大学評論・新女大学』に至るまで、生涯を 通じて、女性論を説き続けた。 それは女性論が、福沢の近代化構想と密接に 結びつく問題であったからだと、西澤さんは指摘する。 福沢が描く近代国家・ 近代社会は、「一身独立→一家独立→一国独立(この一国は、藩のような地域社 会でなく、国家)→天下独立」(『中津留別之書』)、一身独立(精神的にも経済 的にも自立)した人間が主体的に作り出すものである。 その近代社会の形成 において女性が果たすべき役割は何か? 「男も人なり女も人なり」(『学問の すゝめ』第8編)、男女は等しい存在で、男にできて女にできないものはない (「日本婦人論」)→女性も「一身独立」すべき存在(つまり独立すべき「人」 に女性も含まれる)/女性も責任と財産を持つ→男女共有寄合の国(男女とも に国をつくる)。 男女がお互いに学びあい、対等な関係での交際(=文明男女 の交際)を通じて社会を形成し、ともに「国の相談相手」となり、ともに一国 の「事務」を分担。(『男女交際論』)
以前、この日記で詳しく紹介したのは、下記の通り。
福沢の「女性論」、女性の一身独立<小人閑居日記 2005.11.9.>
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/09/
新しい「家」の確立<小人閑居日記 2005.11.10.>
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/10/
「女大学」的なものを攻撃する<小人閑居日記 2005.11.11.>
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/11/
福沢の女性論・家族論は「最後の決戦」に勝ったか<小人閑居日記 2005.11.12.>
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/12/
書簡にみる福沢の家族観・男女観<小人閑居日記 2005.11.13.>
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/13/
「家産」と“家”の継承問題<小人閑居日記 2005.11.14.>
固定概念・“見えない規範”にとらわれている ― 2011/04/02 07:04
おわりに、西澤直子さんは、私たちは福沢から何を学ぶかとして、福沢の女 性論が男性論と表裏一体のものであることに触れた。 福沢の主な男性論とし ては、明治18(1885)年の『品行論』、明治21(1888)年の『日本男子論』 がある。 そこで福沢は、固定概念にとらわれない、意識改革が必要であると した。
西澤さんは、福沢の書いたものから、「陰(かげ・いん)の帳面」と「第二の 性」の二つの言葉を取り出す。 「陰の帳面」…「婦人を見て、何となく之を 侮り何となく男子より劣りたる様に思込み例の如く陰性として己が脳中にある 陰の帳面に記したるものなり」(『日本婦人論後編』) 「第二の性」…「儒流の 古老輩が百千年来形式の習慣に養われて恰も第二の性を成し、男尊女卑の陋習 に安んじて…」(「新女大学」)→自然の「情」ではなく、「形式」によって捉え てしまえば、第二の性が生まれる。
つまり、現在でも、一見解放されたように見えても、実は“見えない規範” にとらわれている、として二つの例を挙げた。 例1: 女子会、女子力、草食 系男子、弁当男子、イクメン、オヤジっぽい(これらは、あるべきステレオタ イプがあるからこその、とらわれている言葉)→各人が男らしさ女らしさを意 識することと、「世間体」にとらわれることとの相違。 「勇気なき痴漢(ばか もの)」(「新女大学」) 例2: 結婚による格差(高学歴と結婚、年収の差で二 極化)←福沢は身分制度を打破するものとして、学校制度と結婚を挙げていた のに…。(『旧藩情』)
「もう一度関東大地震が襲来するはず」 ― 2011/04/03 07:04
「銀座アルプス」という一文が『寺田寅彦随筆集』第四巻(岩波文庫)にあ る。 昭和8(1933)年2月の『中央公論』に書いたもので、銀座についての 幼時からのいろいろな思い出が綴られている。 「銀座アルプス」は、デパー トなどの高いビルを指し、その前年に日本橋白木屋の火事があったこともあっ て、最後にこんな警鐘が鳴らされている。
「もし自然の歴史が繰り返すとすれば二十世紀の終わりか二十一世紀の初め ごろまでにはもう一度関東大地震が襲来するはずである。その時に銀座の運命 はどうなるか。その時の用心は今から心がけなければ間に合わない。困った事 にはそのころの東京市民はもう大地震のことなどきれいに忘れてしまっていて、 大地震が来た時の災害を助長するようなあらゆる危険な施設を累積しているこ とであろう。それを監督して非常に備えるのが地震国日本の為政者の重大な義 務の一つでなければならない。それにもかかわらず今日の政治をあずかってい る人たちで地震の事などを国の安危と結びつけて問題にする人はないようであ る。それで市民自身で今から充分の覚悟をきめなければせっかく築き上げた銀 座アルプスもいつかは再び焦土と鉄筋の骸骨の砂漠になるかもしれない。それ を予防する人柱の代わりに、今のうちに京橋と新橋との橋のたもとに一つずつ 碑石を建てて、その表面に掘り埋めた銅板に「ちょっと待て、大地震の用意は いいか」という意味のエピグラムを刻しておくといいかと思うが、その前を通 る人が皆円タクに乗っているのではこれもやはりなんの役にも立ちそうもない。 むしろ銀座アルプス連峰の頂上ごとにそういう碑銘を最も目につきやすいよう な形で備えたほうが有効であるかもしれない。人間と動物のちがいはあすの事 を考えるか考えないかというだけである。こういう世話をやくのもやはり大正 十二年の震火災を体験して来た現在の市民の義務ではないかと思うのである。」
志の吉の「松竹梅」 ― 2011/04/04 07:14
31日は、第513回落語研究会。 歌舞伎も、演芸場も公演を中止していたら しいが、この会は予定通りの開催。 照明を落して、かなり暗い国立小劇場に 入る。 今年も並ばずに代金を振り込めば継続で入手できる、新年度の券を受 け取る日だ。 今回からカードになっていた。
「松竹梅」 立川 志の吉
「猿後家」 三遊亭きん歌改メ 三遊亭 鬼丸
「搗屋幸兵衛」 古今亭 志ん橋
仲入
「羽織の遊び」 橘家 圓太郎
「猫の災難」 柳家 小三治
志の吉、東日本の仕事は8割方中止だという。 松山千春が言った、カネの ある奴はカネを出せ、力のある奴は力を出せ、知恵のある奴は知恵を出せ、何 もない奴は元気を出せ。 被災地に空腹な自衛隊が来ても、どうしようもない。 ガッテンしていただけるでしょうか、と師匠のセリフを言う。 神戸におばあ ちゃん(と、志の吉)がいて、阪神大震災の時に行ったが、水のないのがあん なに大変だとは思わなかった、特に便所が困る。 東京から水をダンボールで 二つ送ってもらったら、「六甲のおいしい水」だった。
仕事のキャンセルが続いて、こちらも被災しているようなものだ。 わずか にキャンセルにならないのが、結婚式の司会の仕事。 結婚式の司会は、自信 がある。 先日も新郎新婦の父母に、「次回もよろしく」と言われた。 最初に 結婚式の司会をしたのは、オチケンの後輩に、急なので先輩しかいないからと 頼まれた時。 急というのは、出来ちゃった婚で、目立たない内にということ。 初めてで、思いっきり緊張し、「新郎、ニンプの入場です」と、やってしまった。 親戚の人で、もう酔っ払っている人がいて、大きな声で「その通り!」
「松竹梅」は、角の伊勢屋に婿が来るという婚礼の招待状を、字の読めない 松五郎、竹蔵、梅吉が隠居に読んでもらい、ご祝儀につける余興の謡を教わる 例の前座噺。 志の吉、とてもガッテンとは言えぬ出来だった。
三遊亭鬼丸の「猿後家」 ― 2011/04/05 07:10
三遊亭鬼丸(おにまる)、鶏冠(とさか)のような頭とダイダイ色の羽織の紐 が目立つ。 円歌一門、昨秋きん歌から鬼丸になった。 歌のつく名前は、歌 丸一門にもいて、取り合い状態になっている、カラオケボックスのような。 歌 九(うたきゅう)はどうだろう、間違えて客が入るかもしれない、と師匠に言 って、怒られた。 信州上田市出身なので、真田幸村の幸から、歌幸(かこう) はどうだ、と師匠。 下降はいや、じゃあ「こうか」は、便所だ。 この人、 当てにならない。 で、鬼丸になった、180年前の古い名前。 4月1日で、 入門から丸15年になる。
「猿後家」は、大店の後家さん、お金にも、身の回りにも、不自由はないが、 ただ一つ、顔が不自由で、気になる、猿に似ているのだ。 店の者、出入りの 者は、細心の注意を払い、「しなさる」はダメ、「えてして」もダメ。 善さん が行くと、家の中でふさぎこんでいる。 三日前、植木屋が代替わりして、息 子が来た。 空いている所に何を植えればいいかと聞くと、「サルスベリがいい」 と言った。 植木屋ふぜいが、と怒鳴りつけると、頭に来て、「柿の木を植える から、おにぎりでも食いやがれ」と、言ったという。 ゼニの欲しい善公、お かみさんをお千代さんと見間違えました、と言う。 お千代さんは京女で、今 年18。 まだ化粧前ですか、化粧をしたら小野小町のような美しさになる。 お 清、うなぎに、お酒。 カカアの親に東京見物させて、銀座へ銀ブラに行った けれど、余りきれいな人はいない、おかみさんと比べるから。 清よ、白焼き もつけて、天ぷらも、一番高いの。 その後、浅草へ、親がお祭かいという混 雑、雷門の所に人だかり、中を覗くと、「猿回し」をやってんの……、アレ。 善 公、二度と来るんじゃないよ。
馬鹿、それ言ったのかい、と番頭さん。 ウチじゃあ、初歩の初歩だよ。 出 入りの職人は、そそっかしいのが多いんだから。 仕立屋の太平、母親代わり で娘のお遊戯会を見に来てくれ、と言ってきた。 昔話で桃太郎、役は家来だ という、三つに一つ、案の定、その一つ。 私に嫌味を言いに来たのかい、と なった。 あいつはえらい、口で取り返した。 ひと月くらい経って、無精髭 に汚い着物で来て、臭い話をした。 この土地を離れ、旅をしていたら古道具 屋で、お店のおかみさんにそっくりの錦絵を見つけた。 この世のものとも思 えない美人、この絵に魂を入れて下さい。 まあ、これは鏡じゃないのかい、 うなぎ三人前取って。
おかみさん、開けますよ。 急に怒りましたね。 何で怒っているんだか、 わからない。 雷門の人だかり、中で何をやっていたかっていうと、「皿回し」。 ふーん、そう。 親に、おかみさんにそっくりの錦絵を買ってやった。 これ です。 鰻屋、一軒持たせてやろう。 すごいね、お前、太平が持ってきたの と、同じだ。 いえ、ほんの猿真似でございます。
たくさん書いたのは、三遊亭鬼丸が、なかなかよかったからだ。
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