如月小春さんの小説『子規からの手紙』2011/09/14 06:27

 『夏潮』9月号の「季題ばなし」第十四回「子規忌」に書いた雑学は、如月 小春さんの小説『子規からの手紙』(岩波書店)だった。 劇作家の如月小春さ んは、才色兼備を絵に描いたような人だったが、惜しくも2000(平成12)年ク モ膜下出血のため、44歳の若さで亡くなった。 『子規からの手紙』は、その 最初の小説で、岩波書店〔物語の誕生〕シリーズの一冊として1993(平成5)年 に刊行された。 如月さんと夏目漱石に関心のあった私は、読んで感じるとこ ろがあり、記憶していたのであった。

 如月小春さんが書いた物語のさわりは、こんなものだった。 死期の近かっ た子規は、ロンドン留学中の夏目漱石にあて「君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウ ナ気ニナツテ愉快デタマラヌ。若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテイル内ニ今一便 ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)」と書いたが、返信は遂になかった。 作 者の分身が漱石の生れ育った早稲田夏目坂の仕事場の、雪の夜の底でソーセキ と会う。 ソーセキは話す、「西洋に学び、西洋を模倣しはじめた日本は、もう 戻れない。私は一人だった。日本にも、西洋にも属さず、古い世界にも、新し い世界にもおさまりきれない。ロンドンは、そんな誰でもない者が、足場を探 してさすらう、二十世紀という深く暗い霧の中だった。だからシキへの返事は 書けなかった。」 その返事が、書き始めた小説「猫のことなど」、漱石の小説 群だったというのが、如月さんの主題である。

   夏目漱石は慶應3(1867)年1月5日(旧暦、新暦2月9日)生れ、正岡子規は 慶應3(1867)年9月17日(旧暦、新暦10月14日)生れ、ともに満年齢が明治の 年と同じになる。 二人は明治17年9月東京大学予備門(19年第一高等中学校 と改称)に入学、明治22(1889)年22歳の1月頃から交流が始まる。

   問題の手紙だが、子規が亡くなる前年の明治34年(1901年、34歳) 11月6 日付、子規最後の漱石宛書簡である。 「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎 日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ」で始まる。 実は岩波文庫、和田茂樹 編『漱石・子規 往復書簡集』を見ると、上の手紙の後に、12月18日付の漱石 最後の子規宛書簡があることがわかる。

 疑問に思って、如月小春さんの『子規からの手紙』を読み返してみると、ち ゃんと言及があった。 「いや、正確には一通だけ短いのを出してはいるんで すが、それは到底、シキの、あの病んだ身体を震わせて、声を限りに叫んでい るような懇願に応えたものとは言い難い。」

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